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  • タミーベーカリー〈第9号〉 | koumi-sakuho

    「タミーベーカリー」  木田 拓也さん 第9号(2021年12月発行) ー開店経緯を教えてください (木田拓也さん、以下、木田さん)大日向小学校に子どもを通わせるご縁で令和2年4月に家族5人で佐久市に移住(令和3年の春に佐久穂町に移りました)。直後にコロナが直撃し、生活が一変したこともあり、「自分たちはどうありたいのか」生き方を根本から見つめなおすようになりました。  そんな時に浮かんできたのが美容室を営んでいた母親の姿でした。残念ながら2年前に亡くなってしまったのですが、葬儀の時に多くの方から声をかけていただいて。「あぁ、本当に地元の皆様に愛されていた店だったんだな」と胸が熱くなるものがありました。同時に、自分も母のように、身近で顔が見える方々に何かしらの貢献ができるような手触り感のある仕事がしたいと思うように。  では自分は何がしたいのか。我が家は、三度の飯がパンでも大丈夫なぐらい、みんなパンが大好き。当時は佐久穂町にパンのお店が無かったこともあり、大好きなパンを通じて町の皆さまのお役にたてたら最高だな、と。そんな自分の気持ちに気付いたら、もう居ても立っても居られず、通信教育でパン作りの基礎を学び、開業支援もしてくれるパン屋さんでの修行を経て、令和3年9月、ご縁をいただいた八千穂駅前の素敵な物件で「タミーベーカリー」をオープンするに至りました。  「タミーベーカリー」という名前は、私の母も妻の母も、偶然にも「タミコ」という名前で、その名前にあやかりました。また、英語の「tummy」は、日本語で子どもが言う「ぽんぽん」に当たり、「お腹」という意味があります。「パンでお腹が満たされて、自然と笑顔があふれでる」、そんな柔らかく暖かい情景が浮かぶようなパン屋にしたいと思い、この名前に決めました。ちなみに、八千穂駅の前ではじめるベーカリーなので「八兵衛」という店名候補もあったのは、ここだけの秘密です(笑)。 ー開店して2か月が経ちますがやってみていかがですか (木田さん)とにかくアッという前に1か月が経ちました。慣れない立ち仕事が続くのもあって、開店直後は、夜寝ている時に両足のふくらはぎ・もも・すねの6か所が同時にツルという恐ろしい体験もしましたが、これもなかなか得難い良い思い出です( 笑)。と、大変なことは、もちろんありますが、開店して本当にありがたいなと思うのは、地元の方が想像していたよりも遥かに多くお店に来てくれていること。ご縁をいただいた佐久穂町の一員として、皆さまにパンを通じて笑顔をお届けしたいと思って始めたこともあり、地元の方が喜んでくれる姿を見られるのが、何よりも嬉しいですね。  また接客していて心温まることの1 つに「ご近所さんにおすそ分けしたいから別で包んでくれるかい?」という方が、本当に多くいらっしゃること。ご近所の方々を気にかけ合う関係性がある町ってとても素敵だなと思いますし、そのようなやり取りに「タミーベーカリー」が一役買えていると思うと、お店を開いて本当に良かったなとつくづく思います。 ―お店で大事にしていることを教えてください (木田さん)アメリカで仕事をしていたときに同僚がよく言っていた「ファミリー イズ ファースト」という考え方が好きで、大事にしています。これには2つの意味があります。  1 つは「自分の家族」をまずもって大事にするということ。家族が元気で笑顔でいてくれるからこそ、自分は安心して美味しいパン作りに専念ができる。そういった気持ちの安定が、パンの質やお店の雰囲気にも出ると思っています。お客様に笑顔をお届けするお店 であるためにも、まずは自分も含め、家族が健やかでいられることを大事にしていきたいと思っています。  もう1 つは、この地域の皆さまを、広い意味での「ファミリー」として大事にしていきたい。北海道産100%の小麦や無添加生地など、安全安心な原料を使った美味しいパンをお届けするのは大前提に、皆さまにどうしたら喜んでもらえるかを常に考えています。例えば、20種類程度のパンを常時品揃えるすることで、選ぶ楽しさをお届けしたり。例えば、八千穂漁業さんの信州サーモンや、山本屋糀店さんのお味噌、レティーファームさんのミント等々、なるべく地元の食材を使うことで、少しでも地域資源の循環に一役買えたらと思っていたり。例えば、お店を借り受けて改装をする際に、皆さんにとって馴染み深い八千穂駅前の素晴らしい景観を損なうことのないような意匠を心がけてみたり。  まだまだ駆け出しのパン屋ではありますが、地域の一員として、皆さまと長いお付き合いができるお店になれるよう、これからも試行錯誤を繰り返しなら、頑張っていきたいと思います。 ―18歳の皆さまに一言メッセージをお願いします (木田さん)20年の飲食店での経験はありましたが、パン屋さんは全くの未経験でした。それでもやろうと思えたのは、「自分の能力は未来進行形で考える」という稲盛和夫さんの言葉と出会えたから。「『今、できるかどうか』で考えるな。例え今できなくとも、未来でできるようになっていれば良いだけ」という考え方。この考え方があったからこそ、パン屋がやりたいという信念だけで、ここまで突っ走れたんだと思います。  「何ができるか?」という問いかけは、どうしても「過去」に経験した枠の中でしか思考が働きません。でも「何をやってみたいか?」という問いかけは、思考が「未来」に向く。未来に向いて思考するからこそ、道が開けるということが多々あります。  18歳と言えば人生の1 つの岐路に立つタイミング、色々と思い悩む時かもしれません。そんな時こそ、ぜひ「何ができるか」から考えるのではなく「何をやってみたいか」という未来思考で、考えてみてもらえたらと思います。 とは言え「やりたいことが思い浮かばない」という方もいらっしゃると思います。そんな時は、「人生の目標」のような「大きな答え」をいきなり見つけようとせず、「ふと頭に浮かぶ、小さな『やってみたいこと』」を大事に、まずは経験してみましょう。その小さな一歩を繰り返していくうちに、皆さんならではの「やりたいこと」が、いつか見えてくるようになると思います。 タミーベーカリー 【住所】佐久穂町穂積1431-1【電話】0267-78-3279 【営業】午前11 時~午後5時(なくなりしだい閉店) 【定休】日・木・祝日 【駐車場】2 台 【instagram】https://www.instagram.com/tummy_bakery/ 取材・テキスト 豊田陽介(東町) カレー屋ヒゲめがね  @higemeganecurry

  • Interview 04 | koumi-sakuho

    People 社員インタビュー Interview 04 データの力で、誰かの人生を変える仕事をしたい。 新卒入社 | アナリスト 入社した理由 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントを変更することもできます。 職場の雰囲気について テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントを変更することもできます。 アカウントプランナーの業務内容 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントを変更することもできます。 自分の描く将来のビジョン テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントを変更することもできます。 一日のスケジュール 9:30 始業 10:00 メールチェック 11:00 プロジェクトメンバーとのミーティング 12:00 ランチ 13:00 先輩と面談 14:00 クライアント訪問 16:00 クライアントレポートの作成 19:00 振り返り・明日の準備・退社 退社後 同期と食事

  • 嶋屋住設株式会社 | koumi-sakuho

    ★ 地域とともに50年、ぶれない経営の軸と変化の軌跡 嶋屋住設株式会社 佐久穂町で半世紀にわたり、地域の暮らしを支え続けてきた嶋屋住設。水回りの設備工事を中心に、住まいに関する様々な困りごとに応えてきた同社の歴史や社風、今後の展望について、高野英次専務と社員の土屋さんに伺いました。 「ありがとう経営」への転換——お客さんの笑顔が原動力に  2025年に50周年を迎えた嶋屋住設は、1947年に米穀販売で創業した嶋屋義吉商店を源流とし、現社長の高見澤義光さんで3代目です。1960年代に始めたLPガス販売業が成功したことから台所やお風呂などの設備業にも進出、炊飯器やストーブといった家電も扱うなど、同社の発展の歴史は、地域の生活の変遷を映し出しています。 嶋屋住設設立当時、事務所に家電の展示場も併設していた  経営理念として「お役立ちの精神を大切にし、水と住まいで、笑顔と絆をつくります」を掲げる同社は、嶋屋住設を設立した1975年から水と深く関わってきました。一般の顧客とさらに深く関わるようになったのは2000年代初頭、町内で下水道の整備が進んだことがきっかけでした。この頃に入社した高野さんは、各家庭に水洗トイレを設置する工事の注文が次から次に入り、順番待ちになるほどだったと振り返ります。  「当時はスタッフも10人くらいで、本当に大忙しでした。ただ、数年後には水洗トイレの普及が進み、当然のことながら需要が減って、会社の業績も下がり始めました」(高野さん)  黙っていてもお客さんが来る時代が終わると、同社は大手ハウスメーカーから、住宅の新築に伴う設備工事を請け負うようになりました。北は小諸市、軽井沢町から南は川上村あたりまで、営業をしなくても仕事はやってきます。ただし利益は少なく、「このままでいいのか」と方向性を模索する時期でした。  社長の高見澤さんが本格的に経営の勉強を始めたのは、この頃です。経営に関する研修で学んだ「ありがとう経営」という考え方を取り入れ、感謝の生まれる仕事、感謝を伝え合う組織という方向性を、毎朝の朝礼で全員で確認するようになりました。  その後、地域のお客さんから直接依頼されるリフォームの仕事を増やし、下請けから脱却していきました。  「トイレの水洗化がまだ終わっていないお宅はトイレ用の臭突が立っていて、外から見て分かるんです。そういうところに飛び込みで営業しました。また、以前にトイレの設置をしたお客さんが『そろそろキッチンやお風呂も新しくしたい』とお声がけしてくださることも増えてきました。そうやって直接お客さんに提案したり、要望を聞かせてもらったりして仕事をさせてもらうようになると、笑顔で『ありがとう』の言葉をいただけて、私たちも喜びを感じられます。これこそが一番大事なことじゃないかと、経験から学んでいきました」(高野さん) 震災復興支援が教えてくれた「水」の大切さ  お客さんからの相談に応えるうちに、仕事は水回りに限らず、サッシの交換や階段の手すりの取り付け、カーポートの建設など、多岐にわたっていきました。それでもあえて”水”を中心におく経営理念を重視する背景には、2016年の熊本地震の際、社長が熊本市まで給水の支援をしに行ったことがあります。 社長の高見澤義光さん  どれだけ生活が変わっても必要性はなくならない。普段は簡単に手に入るけれど、設備の故障や災害などがあれば大きな困りごとにつながり、支援が不可欠。助けてあげられればお客さんの笑顔につながるもの。それが”水”だと新たに認識する機会となった経験でした。  これが、2011年の東日本大震災の直後に掲げた「お役立ちの精神を大切にし、水と住まいで、笑顔と絆をつくります」という理念を、再認識するきっかけとなったのです。  その後も、時代とともに仕事の内容は少しずつ変わっていきます。最近では、佐久穂町の自宅や実家から離れて暮らすお客さんから「不在の間、家を管理してほしい」という依頼が増え、定期的に見回っています。それに伴い、「空き家を買ってくれそうな人はいないか」という相談を受けることもあり、不動産のニーズも感じるようになりました。また、高齢のお客さんから「電球を替えてほしい」とか「テレビがつかない」といった様々な困りごとの連絡があり、しばしば訪問することも。これも、高齢者の見守りという新たな仕事につながりそうです。  いずれにしても、安易に流行に乗らず、地域の人々の暮らしを良くするという軸からぶれずにやっていくこと。それがお客さんからの信頼を積み重ねることになり、自社の経営の安定化にもつながってきたと、高野さんは振り返ります。 高野さん 資格取得を支援、未経験者も立派なベテランに  現在の嶋屋住設は、会長と社長も含めて15名が様々な役割を担っています。請け負う仕事には資格が必要なものも多いため、資格取得に向けて講習会に参加できるように勤務シフトを調整したり、受験料を全額負担したりという形で支援をし、保有資格に応じて手当を支給しています。  今後、若手の未経験者が入社した場合には、職業訓練校に通って技能を身に着けてもらう計画です。  「だいたい6割は会社で通常業務に当たり、4割は学校に通うというような形になります。直近では社員2名が2年間職業訓練校に通い、2級配管技能士の資格を取得しました。卒業試験に当たる技能競技大会では、2名とも長野県で1位という好成績を修めています」(高野さん)  異なる業界から未経験で入社したこの2名も、すっかりベテランの域に達しました。後輩が来れば素晴らしい指導と教育をしてくれるだろう、と高野さん。一日でも早く若手の採用をしたいと考えています。 1978年、国道141号沿いの今の事務所に移転した  なお、今いる人たちの入社理由は、東京の会社で働いていたけれど地元に戻りたくなった、製造業で働いていたけれど残業が多くその分の給料ももらえていなかった、など様々。現場で働くスタッフは、転勤がなく地元で働き続けられることに魅力を感じていたり、機械や器具を使って自らの手で何かを作るということに面白さを感じるという人が多いようです。 家庭との両立にも理解ある、会話の多い職場 事務所は和やかな雰囲気  嶋屋住設では女性も4名働いており、工事の許可を取るための申請業務、リフォームをしたお客さんのアフターフォローやSNSでの情報発信、経理など、それぞれに重要な仕事を任されています。  2016年に入社した土屋さんは3年ほど前、家族の介護のために1ヶ月ほど休んだことがありました。  「介護のためにやらなければいけないことが立て込んでしまって、しばらくお休みさせてください、という話をしました。すぐに『ああ、いいよいいよ』って言ってもらえて、ありがたかったですね。結局1ヶ月経たずに落ち着いたので、また行きます、と連絡したら、それも『はい、どうぞどうぞ』って」(土屋さん) 土屋さん  他にも子育てのために時短勤務をする人がいるなど、家庭と仕事の両立に理解があり、職場の雰囲気も良好だと語ってくれた土屋さん。社員同士で自然に雑談が始まることも多く「夕方になると必ず、今日の夕飯は何にする?と聞いて、その日の献立を考えるんです」と笑いました。  休日は、畑で野菜を育てたり、バイクに乗ったり、ゴルフをしたりと、自然の多い田舎ならではの生活を楽しんでいる人が多いようです。お客さんの希望で土曜日に対応することも多いため、今はシフト制で土曜日の出勤があります。ですが、最近は取引先も完全週休2日制を取るところが増え、重機が借りられない、足りない材料があっても週明けまで調達できない、といったこともあり、月に1回は完全土曜休日もつくりました。  「若い人は休日を大切にするし、世の中の流れに合わせて休みを増やしていく必要も感じているところです」と高野さん。大事な軸はぶらさず、会社を存続させていくには変えていかなければいけないところもあると指摘し、働き方やビジネスについて「新しい視点で提案をしてくれる人も大歓迎です」と期待を込めて語りました。 文:やつづかえり 嶋屋住設株式会社ウェブサイト

  • このマチで働く | koumi-sakuho

    About Us 私たちの想いと目指す未来。 Vision 私たちについて ビッグデータ x AIの力で、 マーケティング業界に 革命を起こす。 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 Message 代表メッセージ テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 Our Business わたしたちの事業 デジタルマーケティング事業 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 ソリューション事業 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 オウンドメディア事業 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。

  • こうみ・さくほ通信note | koumi-sakuho

    こうみ・さくほ通信note 「こうみ・さくほ通信note」は長野県東部の佐久穂町で起きている出来事を魅力的に発信したい人たちのグループとして始まった「さくほ通信club」を発展させ、2024年からスタートしました。両町の魅力やそれを楽しむイベントを開催しnoteにて様子をお届けしています。 to note

  • 株式会社 カネト | koumi-sakuho

    ★ 未経験から社外のプロに頼られる存在へ。 変化に富む建材商社の仕事のやりがい 株式会社 カネト  カネトは建築に必要な資材を扱う商社として、工務店や設計事務所など様々な関係者と協力しながら建築現場を支えています。未経験で入社し、ときには失敗もしながら変化に富む仕事に臨機応変に対応できる力を身に着けてきたという高見澤崇さん(木構造・プレカット事業部 課長)と藤巻千穂さん(総務部 係長)に、自身のキャリアや仕事の特徴、カネトの社風などについて伺いました。 金物屋に始まり、建材の総合商社へ  1947年に小海駅前の金物屋として創業したカネトは、1968年に建材機器部を設立して以降、床材や壁材、サッシなど建築資材の仕入れ販売が事業の核となりました。2012年には太陽光発電システムや省エネ機器を扱う環境事業部を設けるなど、その後も事業の幅を広げながら今にいたります。 軽井沢店では、カネトが取り扱う様々な種類の木材を手にとって見ることができます  高見澤さんは、サッシを組み立てる工場の2階で幼少期を過ごし、会社で働く人たちの姿がいつも身近にあったと振り返ります。  「保育園から帰るとボルトで遊んだり、事務員さんにおやつをもらったり、建築現場にもよく連れて行ってもらいました」(高見澤さん)  そんな高見澤さんは、大学卒業後に東京の異業種の会社で働いた後、2013年にカネトに入社。最初の3年間は他社に出向し、新しい部署の立ち上げに必要な知識を学びました。出向先は、建築に使う木材を設計図に合わせてカットする「プレカット」の工場で  現在の建築現場では、プレカット工場でカットした木材を運び込み、現場で組み立てる工法が主流です。カネトでプレカットの注文も受けられるようになれば、それまでメインの商材であった石膏ボードや断熱材などに加えて木材も取り扱える。建築に必要な材料を1社で引き受けられるようになればお客さんも助かるはず——そのような展望のもと、カネトはプレカット事業部の立ち上げを決めたので  出向先から戻った高見澤さんは新たな事業部の立ち上げメンバーの一人となり、現在は木構造・プレカット事業部の課長を務めています。) 強みは顧客のニーズを幅広く、迅速に満たす体制  プレカット事業に進出したカネトですが、自社工場はありません。注文主と打ち合わせて図面を作成し、現場への納品まで責任を持ちますが、加工の部分はいくつかの工場に外注しています。 複数の工場との提携には、顧客の要望や物件の特徴に合った加工方法を柔軟に選べるという利点があります。また、新型コロナウイルスの流行が引き金となったウッドショック(木材の不足と価格の高騰)の際も、この体制が功を奏しました。  「ウッドショックの際は、加工したくても元になる木が手に入らず、断らざるを得ないという会社さんが多かったんです。ですが、うちは取り引きのあるたくさんの工場に相談し、少しずつ仕事を割り振ることができました。複数の工場と連携してやっていくという体制がリスクヘッジになったんです。他で断られたという仕事も全て引き受けた結果、生産量が落ちるどころかむしろ上がり、そこからお付き合いが始まったお客様もいらっしゃいます」(高見澤さん)  プレカット事業に限らず、カネトの強みは顧客のニーズにきめ細かく、臨機応変に応えられる体制にあると高見澤さん。「頼まれれば弁当だって届けますって、よくお客さんに言うんですよ」と笑います。  「『弊社にご相談いただければなんでも揃えます』という意味です。ただ、商社という立場だと、同じ商品ならうちに頼んでも他社に頼んでも変わりありません。じゃあ、どこで差別化するかというと、情報の速さや配送力なんです。営業担当者はしっかりアンテナを張り、お客さんに有益な情報を届けるということに力を入れています」(高見澤さん)    配送力が強みになるのは、自前の物流体制があるためです。軽井沢の物流事業部で10名のドライバー、サッシ事業部で10名の職人が、毎日様々な現場に商品を届けて回っています。軽井沢など住宅建設が盛んなエリアに近いのも利点で、現場から「これが足りない!」と連絡があれば、その日のうちに届けることも可能です。顧客がカネトの倉庫に直接取りにくることもでき、必要なものが早く手に入ると、非常に喜ばれています。 職場の人間関係と社外の関係者に助けられて成長  取材に伺った軽井沢支店には大きな倉庫があり、そこから荷物を運び出してトラックに積み込む様子などから、活気のある雰囲気が伝わってきます。20代後半から30代前半の社員が多く、雑談が盛り上がることもしばしばだそうです。  藤巻さんは、2016年に入社しました。長野県内の短期大学在学中に就職活動をするもなかなか内定を得られずにいたときに、大学の先生に勧められて受けたのがカネトでした。  内定を得て、就職活動を終わりにしたい一心で就職を決めたため、あまり前向きな気持ちで入社したわけではなかった藤巻さん。しかし、徐々に他の社員たちと打ち解け、会社が居心地の良い場所になっていったと振り返ります。  「入社したときは、働かなければいけないから働いているという意識だったんです。でも、2人の女性の先輩と仲良くなって、3人で遊んだり旅行に行ったりするようになりました。そうすると自然と他の女性の先輩たちとも仲良くなり、男性の社員の方たちにも心を開くことができるようになりました。結果として、とても働きやすい環境だと感じられ、この会社でがんばっていこうと思えるようになったんです」(藤巻さん)  入社当初に藤巻さんが配属されたのは事務部です。顧客からの注文を受け付けて各種伝票の入力や配送の手配をしたり、支店に届いた様々な資材を受け取って確認したり、それらを引き取りに来た大工さんの応対をしたりなど、仕事内容は多岐にわたりました。  「最初は建築現場で使われる専門用語が分らなくて、それを解読するのが大変でした。それが分かるようになっても、何かと臨機応変に動くことが求められ、いろいろと気を回さなければいけないことがあります。カネトの事務ができたら、どこに行っても通用するよ、と言われました」(藤巻さん) 毎日、様々な資材が届き、出荷される軽井沢店の倉庫  事務というとルーチンワークのイメージがあります。しかしカネトの事務の仕事は、藤巻さんが「同じ日は1日もなかった」と言うほど変化に富み、退屈しない毎日だったそうです。  藤巻さんは5年前に総務部に異動し、人事と総務を担っています。ここでも、社長をはじめとする役員からの指示に応えたり、人材採用のための説明会や面接の段取りをしたりと臨機応変の対応が求められることが多く、日々考えながら仕事を進めています。  高見澤さんも藤巻さんも、業界未経験から入社し、現場で学びながら成長してきました。社外の様々な関係者とのやり取りが多く、調整が大変な部分もあります。その分、チームのような関係になれたときには、大きなやりがいを感じられる仕事だといえるでしょう。  「大工さんや設計士さんから『こういう建物を作りたいんだけど、どういう組み方をしたらいいですか』とか『こういう設計図を描いたんだけど、プレカットで実現できますか』とか、少し専門的なことで頼っていただけたときは、とても嬉しいです」(高見澤さん)  高見澤さんに、プロの相談を受けられるような知識や経験が最初からあったわけではありません。当初はゴミ拾いくらいしかすることがなくても現場に通い、納品した製品が組み立てられていく様子などを見たり、現場の大工さんたちに聞いて、少しずつ覚えていきました。その結果、うまくいかないことがあっても、一緒に解決策を考えてもらえるような関係性ができてきました。それが今、仕事をする上での重要な土台になっていると、高見澤さんは振り返ります。 失敗を経験し、そこから学んでほしい  カネトでは新卒と中途の人材採用を行っており、新卒については高卒と大卒合わせて2〜3名が毎年入社しています。地元で働きたいという人の他、最近ではパートナーの地元で暮らすために東信地域での仕事を探し、カネトに入社するというケースもあるそうです。 軽井沢支店の窓の外には、雄大な浅間山の姿が見えます  「どんな人がカネトに向いていますか?」と聞くと、高見澤さんからは「仕事を自分ごとにできる人」という答えが返ってきました。  「建築はいろいろな業者さんが関わるので自分ひとりでは完結しませんし、一軒一軒が違うのでイレギュラーなことばかりです。関わる人たちそれぞれの都合もあるので、相手が『どうしてほしいか』をちゃんと考えて最後まで実行するという気持ちがないと、どうしてもやりきれないことが出てきてしまいます。お客さんのために自分ごととしてできるか、というのがとても大事です」(高見澤さん)  藤巻さんが考えるカネトに向く人は、「明るい人」です。  「分らないことがあるとか、慣れていないとか、最初はできないことがいろいろあると思うんです。でも、前向きな気持ちを持って、はっきり挨拶や返事ができる人がいいですね」(藤巻さん) 高見澤さんも、「分からなくても構わないので、はっきりリアクションしてくれるのが一番助かります」と頷きます。そして「若い人は、失敗を恐れないでほしい」と強調しました。  「入社したばかりでできないのは当然で、むしろ失敗してほしいと思っています。ちょうど今、入社3〜4ヶ月くらいの子がいるんですけど、失敗せずにできちゃったときは、『ここは、間違えてくれないと』って文句を言ったりするくらいで(笑)。失敗したときにこそ学びが生まれるものだから、どんどん失敗してほしいです」(高見澤さん)  高見澤さん自身、プレカットの加工不良が原因で現場に集まった職人さんたちの仕事が全部ストップしてしまったという経験があるそうです。ちょっとしたミスがスケジュールの遅れや信用低下も招く可能性があるということを、心に刻む機会になったことでしょう。  カネトに入社する人は、高見澤さん同様に業界未経験者が多く、必要な知識は仕事をしながら覚えていくことになります。ただ、昔のように「見て覚えろ」というやり方を良しとしているわけではなく、時代に合った育成方法に変えていきたい、と高見澤さん。失敗を学びを得る機会と捉えて見守るという考え方も、そのひとつでしょう。 若手の声を聴き、行動を示すことが重要  時代に合った育成という点では、モヤモヤしている若手がいたら話を聴くことも重要だと高見澤さんは感じています。  「以前は、不満を言えないまま溜め込んだ末に『辞めます』と言ってくる人がいました。そうなると、もう引き止めてもどうにもならないことが多いです。最近は、不安や不満があると藤巻さんのところに相談がくるようになって、急に辞めてしまうということがなくなっています」(高見澤さん)  「特に『相談してね』と言っているわけではないんですけど、他の支店に行ったときにも若い社員に積極的に話しかけたりして、相談しやすい関係にはなれているのかもしれません。話を聞いて、私が全部解決できるわけではないんです。ときには高見澤さんにお願いして、相手の良いところも良くないところもはっきり言ってもらうなど、フォローしてもらっています。変えた方が良いことについては、会社に働きかけたりして少し妥協案のようなものが見いだせることもあるし、何も変わらなくても、行動し、その結果をちゃんと伝えてあげる。それだけでも、『話を聴いて、動いてくれたんだな』と納得感が得られることが多いですね」(藤巻さん)  まもなく創業80年を迎えるカネトがこれからも頼られる存在であり続けるために。高見澤さんや藤巻さんのような中堅社員が中心となり、時代に合った育成や働きやすい職場づくりを進めている様子がうかがえました。 文:やつづかえり 株式会社カネトウェブサイト

  • われら、さくほ人〈第8号〉 | koumi-sakuho

    われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 山を次世代に繋げるのが使命 第8号(2020年12月発行) 有限会社 カネホ木材 星野 大揮さん [佐久中央小・佐久中卒 34歳] 佐久穂の山の恵み  山が人々の暮らしに与える恩恵は計り知れない。その山や自然を守るためには、人が正しく手入れする必要がある。カラマツの産地である南佐久の中でも、佐久穂町は他町村をしのぐ約4500haの町有林を保有している。戦後に拡大造林されたカラマツは、今、一斉に伐採期を迎えている。その中から木材の生産に適した約1000haを選び、年間約20haずつ伐採、植林し、町の財産である山と森を未来に残していくための整備計画が進行中だ。  「約6〜7haの区画ごとに伐採し、そこに約1万5000本の苗木を植えるという作業を、毎年受託しています」と、カネホ木材3代目の星野大揮さん。以前はあまり需要がなかったカラマツだが、ここ数年は針葉樹合板・集成材としての需要が増えた。製材・土木用材としても東信地域のカラマツは強度があって質がいいと評判だ。 地場産業の後継ぎとして  林業は危険な面もある仕事。後を継いでほしいと言われたことはないという大揮さんだが、11年前、父で社長の勝好さんが60歳を迎えたのを機に佐久穂町にUターンした。それまでは大学も就職も水産関係に進んでいた。水産とは真逆とも思える林業への転職に抵抗はなかったのだろうか。「兄弟は姉と自分だけなのでゆくゆくは継ぐつもりでいましたし、山も川も海も繋がっているからいいんです(笑)。地元の自然を守る産業に使命感もありました。一度外に出たからこそ佐久穂町の良さがわかります。山々に囲まれた景色を眺めながらの作業も好きです」。  林業の現場は、地形も木の伸び方も毎回異なる。基本はあるがマニュアルはない世界なので、技術を教えてもらうことは難しかった。先輩の職人さんや父の姿を見て自ら学び、必要な資格も取得。重機が通るための道をどこにどう引くか、どこから木を切り出していくかといった、〝山の勘〞がつくまで5年以上かかった。そんな大揮さんの仕事ぶりを見て、「町にとって大切な仕事を丁寧にきれいにやってくれて信頼できる」と佐久穂町役場林務係の担当者も太鼓判を押す。 林業の未来のために  祖父の世代が植え、親世代が育てたものを子が使うというのがカラマツのサイクル。「自分は今、先人が植えてくれた木を受け継いで使わせてもらっています。だからこそ自分も次の世代に繋いでいかねばなりません」。担い手の育成は重要だ。そこで町内の林業者と協力して、佐久穂小・中学校の4〜8年生に林業の魅力を伝えるため「さくほ森の子育成クラブ」を立ち上げた。  「自分も幼い頃に山に連れて行ってもらい、機械に触れてあこがれたものです。機械化が進んだことで危険な作業も減り、女性オペレーターや若い職人も増えていますが、山奥の作業なので目に触れる機会が少なく、まだまだ一般に身近とは言い難い職種です。子どもたちにとって、格好いい憧れの仕事になれば嬉しいです」。3児の父の柔らかな笑顔には山の男というイメージはない。子どもたちだけでなく、皆が持つ林業のイメージまで変えてしまいそうな大揮さんだ。 「さくほ森の子育成クラブ」とは 森を知り、森を愛そう  佐久穂町の誇れるものって何でしょう。佐久穂町にとってかけがえのないものって何でしょう。後世に残しておきたいものって何でしょう。そのどれにも当てはまるのが、佐久穂町の大きな財産、〝森林〞です。何といっても、佐久穂町の8割を占めているのが森林なのです。  森林は、私たちに大きな恩恵をもたらせてくれます。この森林を守っていくことはとても大事なことなのですが、まず、私たちは森林のことを理解しなくてはなりません。そのために、子どもの時から森林に触れ、身近に感じる機会が必要です。そこで平成26年に設立したのが町内の林業事業体を中心に産・学・官で構成する「さくほ森の子育成クラブ」です。  佐久穂小・中学校の4年生から8年生(中学2年)を対象に、森林林業に特化したキャリア教育事業を行っています。佐久穂町の森林林業について、各学年の発達段階に応じた学習や体験を提供し、将来一人でも多くの子どもたちに佐久穂町に残ってもらい、町の森林林業を担う後継者を育成することを目的としています。  4年生はきのこの駒打ち体験と「森林の働きと水」の観点から学習、兜岩湧水の見学を行います。5年生では伐倒作業の見学、高性能林業機械試乗体験やチェーンソー、手のこぎり体験、6年生ではカラマツ、白樺の植栽体験、7年生では森が生まれるところから木が育ち伐採された木材が製品になって使われるところまで見学しながら学習、8年生では総まとめとして、さくほ森の子育成クラブの各事業体で就業体験(インターシップ)を行うなど幅広いカリキュラムでキャリア教育を行っています。 南佐久北部森林組合参事の島﨑和友さんより (八千穂北小・八千穂中卒 60歳)  南佐久北部森林組合参事の島﨑和友さんは、「森の子育成クラブを立ち上げたのは小中一貫校が開校する前年の平成26年でした。教育委員会や先生方、佐久地域振興局林務課や佐久穂町の林務係と協議を重ね、提供できるプログラムを先生方に体験していただくなど試行錯誤を繰り返しながら具現化してきました。  教材である森林について伝えたいことは教室では子どもたちに伝わりません。実際に森林に行って五感を使って感じ、興味を持ってもらい、自ら学習して欲しいと思っています。森林の中には教室では見つからない「なぞ」や「感動」がたくさん潜んでいます。私たちが生きていくために必要な空気や水、食料が森林と大きく関わっていることを理解してもらいたい。そして自分が育ったふるさとを誇れる人になってください」、と話してくれました。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。

  • さくほ人座談会〈第1号〉 | koumi-sakuho

    おらほのさくほを語ろう  30歳の座談会 第1号(2017年7月発行) 今年30歳を迎える、さくほ育ちの5人。左から伴野文和さん、佐塚翔太さん、山田みどりさん、横森貞江さん、小林亨さん。佐久穂町立佐久穂小・中学校玄関前にて。 佐久穂町出身で、今年30歳を迎える5人に、佐久穂小・中学校に集まっていただき、さくほへの思いや、同窓会事業について語っていただきました。 佐久穂町 自己紹介と、今日、佐久穂小・中学校を見学してみた感想をお聞かせください。 山田みどりさん (以下山田)  佐久東小、佐久中出身で、今は、栃木県で教員やっています。私が知っている佐久中とは違いますね。広々している学校だな、という印象です。 伴野文和さん (以下伴野)  佐久西小、佐久中出身で、佐久穂町役場に勤めています。私は、建設中の公開やボランティアの読み聞かせでも来ていたので、今日が初めてではないですが、完全に通っていた当時の面影はないです。残っているところがないので、寂しい感じもします。 佐塚翔太さん (以下佐塚)  佐久中央小、佐久中出身で、長野市でシステムエンジニアをしています。広々しているし、きれいな学校で、うらやましいと思いました。 横森貞江さん(以下横森)  八千穂保育園から八千穂中までエスカレーター式に進んで、今は野辺山で栄養士をしています。佐久中は、出身校ではないので、ここに馴染みはありませんが、きれいな印象です。でも、広くて掃除が大変そうですね。 小林亨さん(以下小林 ) 横森さんと同じで、八千穂保育園から中学まで一緒で、今は小諸で営業やっています。 佐久穂町 今日は、学校に集まってもらいましたが、小中学校時代の思い出話などを教えてください。 佐塚  小学校から野球をやっていましたが、その時は自主的にやっていなくて。中学からは3つの小学校が一緒になって仲間が増えて楽しくなって、今でも変わらず連絡取り合っている仲間がいます。 山田  バスケをやってたんですけど、ミニバスのコーチが熱心な方で、中学に上がっても、朝練とかを見に来てくれました。中学もミニバスの仲間が上がるので、一から人間関係を作る必要もなく、チームができてたので、やりやすかった。東小は、私の学年で10人しかいなかったんですけど、中学に入って30人学級になって人数の多さに驚いたことを覚えています。 伴野  自分も部活はバスケでした。僕は中学から始めたクチなので、他のみんなは基本ができている中に入っていたので、万年ベンチでした。とにかくきつかったのが思い出ですが、大人になってからバスケ部の友達と飲んだ時に、「よくやめなかったね。絶対やめると思ってた」と、言われました。 横森  ドッジボールやってた思い出しかないかな。あと、学校でといったら、小6の時、校庭に竪穴式住居つくったよね。中学では、私もバスケをやっていたんですが、中3の時は部員が7人しかいなくて、キャプテンとしてまとめられず、苦労した思い出が残っています。学校生活は楽しかったですね。冬は校庭で雪合戦したり、雪だるま作ったり。 小林  野球部でしたが、楽しくできたことが思い出。佐久中とは何回かやってて(佐久中で野球部だった佐塚さんに向けて)、僕、ピッチャーだったんだけど、覚えているかな。 Q:思い出の先生、先生との記憶に残るエピソードはありますか。 小林  小1の時、歩道橋の下を通って、スリッパでたたかれました。食べ物を大事にすることを厳しく教える先生で、重ねた食器にモヤシが一本残っていて、それが問題になったこともありました。卵焼きの一部が床に落ちていた時は、プレイルームに集められて、今後どうしていくかを児童で話し合いをして、それを先生に報告に行ったら、先生は寝ていたんですけどね。そこで、社会勉強したかも(笑)中学の担任は、野球部の顧問の先生でした。独身だったということもあって、自分たちを誘って飯をおごってくれたし、教員住宅に住んでいたんですけど、「見てみるか」と言って連れていってくれてお茶をごちそうになったり、フレンドリーな先生でした。 佐塚  小学校は6年間で5人の担任に教えてもらいましたが、中学は3年間一緒でした。こちらも野球部の顧問でした。技術科の先生で、技術科は離れにあったんですが、掃除の時間に、野球部のメンバーと野球をやってましたね。 Q:山田さんは教員ですが、恩師に影響を受けて、教師になろうと思ったのですか。 山田  ずっとスポーツしかやっていなかったので、必然的にそっちの道しかないなと。でも、小学校の時の先生はとてもよかったです。佐久中に教育実習に来た時、たまたまその先生が教務主任をされていて、そこで深い話もできました。特別支援にも力を入れていて、広い視野で、いろんなことを教えてくれました。今も連絡を取ったりしています。 伴野  中学の時の先生はタバコのにおいの印象が強いですね。 Q:地元での夏の思い出といえば。 小林 高校の時、大日向の滝壺で遊んだことですね。部活が雨で中止になった時に、やることがなくて、滝壺に飛び込むんですが、それが一番心に残っているかな。 佐塚 小学校から水泳をやっていて、遊びに行くのも川が多かったですね。千曲川で魚を捕まえたり、狭い範囲でしたが、すごく楽しめましたね。 山田 家のすぐ裏が川だったので、魚のつかみ取りをしたり、釣りをしたり。兄もいたし、休みになると、(釣り具の)上州屋に行って餌を買ったり、畑でミミズも見つけて餌にしてました。大日向は田舎なので何でもありでした。 Q:地元での夏の思い出といえば。 小林 高校の時、大日向の滝壺で遊んだことですね。部活が雨で中止になった時に、やることがなくて、滝壺に飛び込むんですが、それが一番心に残っているかな。 佐塚 小学校から水泳をやっていて、遊びに行くのも川が多かったですね。千曲川で魚を捕まえたり、狭い範囲でしたが、すごく楽しめましたね。 山田 家のすぐ裏が川だったので、魚のつかみ取りをしたり、釣りをしたり。兄もいたし、休みになると、(釣り具の)上州屋に行って餌を買ったり、畑でミミズも見つけて餌にしてました。大日向は田舎なので何でもありでした。 Q:地元を愛する皆さんですが、佐久穂のどんなところが好きですか。 横森 東京生活で思ったのは、夜も外が明るくて、星を見たいなと思って外に出ても、星が見えないですよね。星や緑が少なくて、(佐久穂の)家に帰りたいなって思いました。 佐塚 高い建物がないから、視界が広がっているのがいいですね。道にも迷わないし(笑)横森さんと同じで、星や、空が広いのがいい。 山田 過ごしやすい気候も好きですが、私は「ツルヤ」が好きだなあって。都会のスーパーよりも新鮮で、何食べてもおいしいし。「ポッポ牛乳」が大好きで、こちらに来ると買い込んできますね。(今住んでいる)栃木にも「ツルヤ」ができてほしいな。 Q:好きな場所、町外、県外から知人が来たら案内したい場所を教えてください。 小林 やっぱ大日向の滝壺ですね。 横森 友人が他県から来ても、あまりどこの場所に連れていきたいということはないですね。都会から来る人は、私の家の雰囲気が好きで、山があって、川が見えるし、空の星も見えて、それで十分みたいです。 佐塚 乙女の滝です。会社に社内広報紙があって、当番制で自分の出身地を紹介する機会があって、その時にも乙女の滝を紹介しました。その後に、佐久穂出身の後輩が入ってきたんですけど、彼も同じ場所を紹介していたので、やはり、佐久穂ではおすすめの場所なのかなと。あと、個人的に好きな場所は、町営グラウンドです。あそこは周りに何もないので、星が良く見えるんです。流星群などのニュースを見ると、ここで見たくなります。真ん中で寝そべってみるのが好きですね。 山田 「元でる」(元気がでる公園)。大学の友達が遊びにきた時、実家に泊まって、余地でバーベキューをやって、「公園とかないの」と言われ、迷わず「元でる」へ行って、(昔よくやっていた)段ボール滑りをしました。 伴野 実際に県外の人に紹介したことはないですけど、紹介したいと思う場所はちらほらあります。余地の千本桜は見事で、GWに行ったんですが、ちょうど満開できれいでした。自分の家の裏の「明神さん(諏訪神社)」の桜もきれいです。八千穂高原スキー場のゲレンデから佐久平を一望できる景色も素晴らしいと思っています。 Q:「佐久穂町同窓会支援補助金」を創設し、事業を計画していますが、みなさんの意見をお聞かせください。 横森 旧佐久町、旧八千穂村が合同でやるんですか? Q:特に決まりはなく、やりやすい形でやってもらいたいと考えています。 横森 今の子たちは(佐久穂)小中学校で一緒ですが、私たちの時代は別々だったから、やりにくい部分もあるかもしれないです。 小林 成人式の時は、三次会なんかでは一緒になったこともあって。30~40人ぐらいだったかな。それはそれで面白かった。知らない人とも出会えたり。 佐久穂小・中学校の校舎と校庭。広々した校庭でのびのび遊ぶ子どもたち Q:私たちは、皆さんが忙しくてできないようなところをサポートする予定です。皆さんのネットワークで、住所を集めてもらえれば。 横森  そこまでやってもらえたら、この際、合同でやるのもいいですね。 佐塚  自分たちだけでやると、ただ居酒屋で飲むだけで終わってしまうので、今日のような学校見学とか、町の中の施設を使わせてもらえるといいですね。 山田  多分、みんな学校見たいよね。学校に入る機会は滅多にないし、学校開放的にやるのもいいかな。 Q:ここのホールは飲食はOKですが、アルコールはNG。ここで一次会をして、他で二次会をしてもらうとか。 横森  グラウンドは貸してもらえるんですか。 小林  同窓会もいいけど、運動会をしてはどう。 横森  室内だとかしこまっちゃうけど、運動して交流してからのほうがやりやすいよね。 山田  “元でる”もできるよね。バーベキュー施設あるし、段ボール滑りもあるし。町でフミ(伴野)ちゃん企画してよ。30歳の大運動会って、いいんじゃない。 ■参加者プロフィール 小林  亨さん(29歳)八千穂小・八千穂中卒 横森 貞江さん(29歳)八千穂小・八千穂中卒 佐塚 翔太さん(29歳)佐久中央小・佐久中卒 山田みどりさん(29歳)佐久東小・佐久中卒 伴野 文和さん(30歳)佐久西小・佐久中卒 ※年齢は発行時のものです。 ※30歳の成人式は、2017年10月8日(日)に開催されました。その時の様子は、「同窓会だより」 をご覧ください。

  • 有限会社 新津技建 | koumi-sakuho

    ★ 伝統の技で未来に残る家を作り、次世代を育てる 有限会社新津技建  長野県佐久穂町を拠点に、伝統工法による家づくりに取り組む新津技建。金具を極力使わずに手作業で木を組み上げる技術は、能登半島地震で被災した文化財の再建にも活かされています。環境に配慮し、永く住み継ぐ家を作るという信念のもと、若手大工の育成や地域の子どもたちの学びの場づくりにも力を入れる同社の取り組みについて、代表の新津裕二さんに伺いました。 石川県七尾市で築130年の老舗ろうそく店の再建に挑む  新津技建は普段、地元の佐久穂町、佐久市、軽井沢町など東信地域の新築やリフォームを手掛けています。しかし、2025年5月からは石川県七尾市に通い、前年の能登半島地震で被災した「高澤ろうそく」というお店の再建に取り組んでいます。  能登の仕事を請け負うことになった背景には、ろうそく店がある「一本杉通り商店街」に事務所を構える建築家、岡田翔太郎さんとの縁があります。5〜6年前、佐久穂町の古民家を再生するプロジェクトを始める際、「ぜひ一緒に仕事をしたい」と新津さんから声をかけたのが岡田さんでした。  「彼と仕事のやり取りをしている間に能登半島地震が起き、ろうそく店の再建事業の相談を受けました。というのも、現地の大工さんの多くは”一人親方”と呼ばれる個人事業主で、大工さん自身や周りの人たちが被災されているなか、なかなか仕事を頼める状況になかったんです」(新津さん)   高澤ろうそくは1892年に創業した和ろうそくの店で、築100年を超える店舗は登録有形文化財に指定されています。しかし地震で軒先が崩れ、母屋部分も傾いてしまいました。それをなるべく元の状態に戻し、2027年1月1日に再開することを目指しています(現在は仮店舗で営業中)。 震災後のお店の様子  これまでは新津さんと若い女性の大工に社外の仲間の大工を加えた4人体制で、2026年からは6人体制で石川県七尾市に滞在して工事を進めています。  ろうそく店が建てられた明治期と今とでは建築の手法も大きく変わっているため、大工であれば誰でも携われるわけではないでしょう。日本の伝統的な家づくり——金具を極力使わず、手作業で刻んだ木を組み上げていく伝統工法——を実践する新津技建ならではの仕事だといえます。 現地調査での様子  「改修工事の内容は事前にある程度予想を立てていましたが、蓋を開けてみて初めて分かることもあり、考えていたよりも時間がかかっています。ただ、周りの人たちがとても温かく、気持ちよく仕事をさせてもらっています。大工としては、明治期から続いてきたお店を守りたいという高澤さんの想いに応えたいですし、文化財に指定されている建物を後世に残すという点でもとても意義があり、みんなやりがいを持って取り組んでいます」(新津さん) 伝統工法への転換を決めたきっかけ  新津技建は新津さんのお父さんが創業した会社ですが、伝統工法にこだわるようになったのは新津さんの代からです。きっかけは、元は酒蔵だった古い建物の改修工事でした。今は新津技建の社屋となっている、築130年を超える建物です。  当時の新津さんは、現在主流となっているプレカット材や新建材を用いた家づくりも同時に進めていました。両方をやることで、違いをはっきりと認識することになったのです。  「古い建物の改修で出てきた不要なものは、そのほとんどがゴミにならないんです。柱や壁、瓦なんかは土に還る素材ですが、現代の家の方は、人工的な素材が多く、リサイクルが難しいものばかりでした。大工として家を作るのは後世のためになる仕事だと思っていたけれど、実は逆のことをしているんじゃないか、これではいけないと気づきました。伝統的な工法を残していきたい、環境に配慮した家づくりをしよう、という想いが、そこから芽生えていきました」(新津さん)  現代の家づくりでは、「プレカット」と言って工場であらかじめカットされた木材を使用することが一般的です。しかし新津技建では、製材された状態で節の位置や木の曲がり具合を見て、柱や梁のひとつひとつに適した木を選び、その木のどの部分を切り出して使うかを決めます。そうすることで、木が本来持っている力を活かした、丈夫な家ができるのです。  そんな伝統工法の知恵と、現代的な断熱の手法を組み合わせた「温故知新の家づくり」を掲げ、夏は涼しく冬は暖かい、長持ちする家づくりに力を入れています。 文化・伝統を守る仕事と時代に合った人材育成の両立  新津技建の社員はパート勤務も含めて13人ほど。7人いる大工の中には、20代の若手やアメリカから移住した人もいます。3年ほど前に若い女性がインターンを経て入社して以来、知人の紹介やSNS経由で新津技建を知り、門戸を叩く若者が増えました。  伝統工法の技術を身に着けたいという場合、宮大工になるのもひとつの道です。そうではなく新津技建にやってくるのは、建築だけでなく暮らし全般における日本の文化や伝統に興味がある人が多いと新津さん。同社では家づくりの傍ら社員みんなで米作りや藍染めに取り組んでおり、それも会社の魅力のひとつになっているのです。 加工場では、ベテランと若手が一緒に作業をする様子が見られる  採用の面談などで新津さんは、「大工になるならなるべく早いうちに覚悟を決めた方が良い」とアドバイスするそうです。相当の覚悟とやる気があれば30代に入ってからでもできないことはない。でも、できれば10代後半や20代前半から大工の仕事に就いて職人向きの身体を作るのが望ましい、という意味です。  体力と技術がモノを言う厳しい世界ですが、それを苦に辞めていく人は出ていません。日本の文化や伝統を大事にするという会社のあり方にピンと来て、自分がそこで何を得たいかをイメージした上で働き始めた人たちだからでしょう。加えて、社員の自立を支え、待遇面で配慮する会社の姿勢も寄与していると思われます。  「自分が若い頃は日曜日しか休みがないような状態でしたし、もっと前の時代は丁稚奉公と言って年に2回しか家には帰れない、仕事も教えてもらうのではなく親方のやり方を見て覚える、というのが職人の世界でした。確かに、一人前の大工になるにはさまざまな経験し、時間をかけて技術を磨いていく必要があります。しかし、時代も変わり、自分の代ではそういった育成体制と現代の働き方のバランスを見ながら、若手大工が働きやすい環境を整えています。さらに、ただ技術を身に着けられれば良いというわけではなく、いずれは家庭をもって一家の大黒柱になれるよう、きちんと生活を守ってあげたいと考えています」(新津さん) 本物の素材の価値を知っていることが強みに  物価高騰が続く昨今、家づくりにかかる費用もどんどん上がっています。お客さんが希望する家を建てようとしたら想定されている金額の1.5倍はかかる……というような状況で、相談を受けても注文にまで進まないケースが増えているそうです。新築の家は贅沢品になっており、経済的に豊かな人でないと手が出なくなっているのです。  そこまでお金を出せない場合でも生活の質を上げる手段として、新津技建では、大工ならではの目利きが活きるリフォーム事業にも力を入れています。他にも、最近ではレストランや商業施設の仕事も増えたりと、当初と比べて仕事内容が多様化しています。例えば、有機栽培で野菜を作る農家の施設を建設する仕事では、環境負荷が少なく、将来にわたって残っていく自然の材料で家を作るという考え方が、施主の理念とも合致しました。  「本物の木や石というのは、とても長持ちするんです。人工の材料で表面的によく見せるのではなく、本物を使うことの価値を理解し、選ぼうとするお客さんは増えていると感じます。自分たちは普段からそういった材料に触れ続けているので、その魅力を十分に伝えることができるし、メンテナンスのやり方なんかもきちんと説明できます。お客さんが十分納得した上で選んでもらえるのが、私たちの強みだと感じています」(新津さん) 「温故知新」で生きる力を、地域の子どもたちにも  新津技建の事務所の前には、築150年以上の土蔵を移築した「体験宿泊施設 布流久佐(ふるくさ)」があります。使われなくなって解体の危機にあった蔵を救い、新しい役割を与えたのです。 元々使われていた自然素材を活かし、現代のライフスタイルに合わせて、立派に蘇った蔵  新津さんは、「布流久佐」に2つの意味を与えました。ひとつは都会から田舎への移住を考える人たちが、この地域ならではの暮らしを体験できる施設としての役割。室内には現代的なキッチンやお風呂なども備わっていますが、外の井戸やかまどを使って料理をしたり、藍染をしたりと、普段はできないアクティビティが楽しめます。  もう一つは、「災害に強い暮らし」のモデルとしての役割。もし電気が途絶えても、断熱のしっかりした家と井戸やかまどがあれば生活を続けられるということを、実際の建物を通じて伝えようとしているのです。  「祖父がよく『人間、米を食べてれば死なない』って言っていたんです。米と大豆や塩なんかがあって、あとは家と水があれば、とりあえず生きていけますよね。全部が昔のままというわけにはいかないけれど、暮らしのインフラを全部他人に任せず、ある程度自力で生きていけるような要素を残しておきたいという思いがあって、こういうことをやっています」(新津さん)  地域の子どもたちにも、そんな想いや技術を伝えたいという新津さんは、小学生が大工体験と藍染体験を通じて昔ながらの衣食住のあり方を学ぶカリキュラムや、中高生向けの場作りも考えています。 2025年に佐久穂小学校3年生を対象に行った藍染体験の様子  「手を使って作るという体験は、ものが作られて手元に届くまでの過程や、この地域ならではの暮らし方や仕事の可能性なんかについても考えるきっかけになるはずです。それを、小学校4年生くらいのカリキュラムに組み込んでもらうことを、学校に提案したいと思っています。それから、中高生向けに『藍染部』という活動もできたらいいな、と。藍染だけでなく草木染や泥染め、柿渋染といった色々な染め方を試すのもいいですし、染めるときの絞りにこだわるのもいい。機織りで布を作る活動なんかにも展開できます。そういったことをしてみたい子にうちの事務所の2階を解放して、部室として使ってもらう。そんな地域貢献もやっていきたいです」(新津さん) 文:やつづかえり 有限会社新津技建ウェブサイト

  • われら、さくほ人〈第5号〉 | koumi-sakuho

    われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 日本で唯一のシューツリー職人 佐久穂から全国へ、世界へ 第5号(2019年7月発行) ビスポークシューツリーメーカー 井出博満さん [佐久西小・佐久中卒 37歳] シューツリーって何? シューツリーって何? 「ビスポークシューズ」をご存じだろうか?顧客一人一人の足に合わせて削り出された木型に革を張り、伝統的な技法でつくる「オーダーメード靴」のこと。正しくケアしていけば30年以上も履き続けられるという。この靴の保管に欠かせないのが「シューツリー」だ。足の形に型どられた木製のアイテムで、靴本体の形をキープし、履いているような状態で靴を維持してくれる。井出博満さんはこのシューツリーを専門に作る日本で唯一の職人。出来上がった靴と元になった木型を見ながらシューツリーを作るのが井出さんの仕事だ。「靴の状態をなるべく保持するためにシューツリーは大事なんです。足は形も感覚も人それぞれ。靴のタイプによっても調整をします」。日本の靴が高く評価されている今、仕事相手は日本中、世界中にいるという。 比類なき情熱と行動力。アポなしでロンドンへ 大学卒業後システムエンジニアとして働いていた井出さんだったが、靴職人になりたくて夜勤をしながら昼は専門学校に通った。4年間靴作りを学び夢はさらに膨らんだ。「革靴の王様」と称される英国靴の名門「ジョン・ロブ」で働きたいと新妻を伴ってロンドンへ。英語もできず、アポイントもなかった井出さん、本店の荘厳なたたずまいに気圧されつつ、飛び込んで作品を見てもらった。採用はされなかったが、靴職人を紹介してもらい弟子になり、後に「ジョン・ロブ」から外注されるまでになった。そんな中、井出さんはシューツリー職人と出会う。本場の靴作りは完全な分業制、当然シューツリー専門の職人も居るのだ。「本場だからこそ靴職人を目指して世界中から人が集まります。お世話になった素敵な人たちと一緒に靴の世界に居たいが、花形の靴職人はライバルが多いと感じていました。シューツリーの分野なら自分でも続けられるかもしれない」と、靴とシューツリーの2人の師匠に8時間ずつ付いて修行をした。2年後帰国すると、木の性質を学ぶため製材所で働き、6年前には横浜で工房「STworks」を立ち上げた。アルバイトをしながらだったが、徐々に取引先を増やしていった。 佐久穂に居を構えて  「長男なのでいつかは佐久穂に戻るつもりでいて、子どもが小学校にあがるタイミングで決めました」と昨年3月末にUターン。住まいは町の空き家バンクを活用。すぐに住める状態だったのと、十分に工房スペースが取れることが決め手だった。「もちろん営業もしますが、マニアな世界なのでインスタや口コミが仕事に繋がります。都会にこだわる理由はないです」。  妻の五月さんは横浜生まれの都会っ子。20代のころは都会がよかったが、子どもができて考えが変わっていったという。「自然の中で遊んだこと、自転車で風を切っての通学風景など、主人の子ども時代の話を聞いて『なんて豊かなんだ』と衝撃を受けました。自分の子供もそんな環境でのびのび育ってほしいと思うようになりました。川が近いのが嬉しくて、近所の川原で川遊びをしています。」と五月さん。初めての田舎暮らしを一家で楽しんでいる。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。

  • このマチで住む | koumi-sakuho

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  • 株式会社トモノ | koumi-sakuho

    ★ ここに暮らす幸せを感じられる家をつくる、 そのために常に挑戦する会社でありたい 株式会社トモノ 株式会社トモノの本社は、長野県佐久穂町を東西に走る国道を脇道に入り、昔ながらの民家の間を通り抜けた先にあります。 社長の伴野健治さんが育った家をリフォームしたというこの事務所も出迎えてくれた伴野さんも、とてもおしゃれで都会的な雰囲気。そんな印象とは裏腹に、伴野さんは山々に囲まれた地元が大好きで、この町を出たいと思ったことはないそうです。地域のお客さんのために、この町にはなかったおしゃれな家をつくるトモノ。会社の成り立ちや組織の特徴、家づくりという仕事の喜びや大切にしていることについて、伴野さんと社員の渡邉千佳さんに聞きました。 自分たちが建てたい家を建てる会社にしよう 株式会社トモノのルーツは、1948年に創業した伴野鉄工という会社です。前社長の代まで建築用の鉄骨の製造を主としてきました。 住宅設計の事業は、伴野さんが経営を引き継いでから、奥様と二人三脚で立ち上げました。それから十数年経ち、今ではすっかり「トモノ=家づくりの会社」というイメージが定着しています。 会社の主軸を鉄工所から家づくりへと大きく転換したのはなぜだったのでしょうか。 「もともとおしゃれな建物が好きなんです。でも、鉄工所の仕事というのは工場をつくったり倉庫をつくったりで、あまり見た目にこだわるお客さんはいないんですよね。さみしいな、という気持ちがありました。 それと、自宅を建てようというときに色々な住宅会社さんを見て回ったんです。でもこの辺りでイメージに合う家をつくっている会社がなくて、それなら自分たちでつくっちゃおうかと。家をつくったことなんてなかったのですが、妻も設計やデザインを学んでハウスメーカーで働いていた経験があり、やってみようということになりました。それが会社として手掛けた住宅の1棟目です」(伴野さん) 住宅の事業を立ち上げて十数年、当初この地域にはなかったモダンでおしゃれな住宅も増えてきた。 自宅を建てるだけにとどまらず事業にしようと考えたのは、伴野さんのように「デザインにこだわった家をつくりたい」と考えるお客さんがきっといるはずだと確信があったからだそう。 しかし当初は、「鉄工所が家なんて作れるのか」と馬鹿にされたり、業者さんからはこれまでにないデザインに挑戦することに不満を言われたり、「住宅のトモノ」を受け入れてもらえるまでには時間がかかりました。最初の3年は年に1棟建てるくらいだったそうです。 転機になったのは、デザインだけでなく「性能の高い家」をつくっていこうと決めたことでした。 健康に良い高性能な住宅しか作らないと決めた 「最初に建てたご自宅は、満足のいくものになったんですか?」と聞くと、伴野さんは「実はとてつもなく寒いんですよ」と苦笑い。 今でこそ「高気密・高断熱」の暖かい家が注目されるようになってきましたが、伴野邸を建てた12年前はそうではありませんでした。伴野さんも、デザインにはこだわる一方で住宅の性能には意識が向いていなかったようです。 しかしある時、取引先の社長と住宅関連メーカーの高性能住宅担当の営業さんから「住宅をやるなら高気密・高断熱住宅をやりましょう」という話を聞かされた伴野さん。勉強会に参加したりするうちに、住宅の性能が住む人の健康に影響することなどを知るようになります。 その頃、先代である伴野さんのお父様が、お風呂場で倒れて意識が戻らないまま闘病中でした。急激な温度の変化で血圧が大きく上下し心筋梗塞や脳卒中などを引き起こす「ヒートショック」が原因だったようです。 「父親の経験があって、健康に良い高性能な住宅を作らなければいけない、お客さんにはそういう住宅に住んでもらわなきゃいけないと考えるようになりました。それからは高気密・高断熱の住宅しかやらないと決めたんです」(伴野さん) 決意を固めた伴野さんは、次に手掛ける住宅で国が始めたばかりの高性能住宅向けの補助金を獲得しました。 「今でこそゼロ・エネルギー住宅というのが普通になってきましたが、当時はまだ少なくて、長野県内でその補助金を取った3棟中の2棟がトモノで建築した家でした」(伴野さん) それをきっかけに広報や住宅見学会、家づくりの勉強会などに力を入れ、徐々にお客さんが増えていったそうです。 多くの女性社員が活躍する職場 今では、長野県の東信エリアを中心に北信や山梨県北杜市にまでお客さんがいるトモノ。伴野さんが引き継いだ頃は3〜4名だった社員も35名ほどになりました。 3年前に入社した渡邉千佳さんは、お客さんと打ち合わせをしながら住宅の仕様や設備をコーディネートする業務を担当しています。 以前は住宅営業の仕事をしていましたが「つくる」側になりたいと学校に通い、二級建築士の資格を取得しました。 その後トモノに入社し実務経験を重ねることで、提案の引き出しが増えてきたといいます。お客さんの要望をどう叶えようかと悩むこともありますが、家が完成して喜ぶお客の姿にとてもやりがいを感じるのだそう。 「入社してみて、想像していた以上にお客さんと家の話をできるのが楽しい」と語る渡邉さん そんな渡邉さんのことを伴野さんは、「すごく一生懸命な人。一生懸命やってくれているのがお客さんにも伝わっているのがとてもいい。僕がお客さんだったとしても、渡邉さんに担当してほしい」と太鼓判を押します。 一般的には、建築会社は男性の割合が多い傾向にあります。しかしトモノでは女性が多く働いており、事務所を訪れた業者さんに驚かれることもあるそうです。 女性が多い理由のひとつは、トモノの建てる家がおしゃれで、「こんな素敵な家づくりに関われたらいいな」という人を惹きつけることにありそうです。 しかし、憧れだけでは続かないのが仕事というもの。家づくりに関わろうと思えば知識やスキルが必要だし、工事の進捗やお客さんの都合に労働時間が左右されることも多いでしょう。 その点、トモノは未経験者も積極的に採用し社員を育てていく姿勢があり、勤務体系が柔軟です。「ここで働いてみたい」という人に門戸が開かれているのです。 柔軟な働き方、教育の充実で未経験者から働き続けられる会社に 事務所ではたくさんの女性が働いている。 トモノの会社としての休業日はお盆と年末年始のみで、土日や祝日も営業しています。しかし社員の勤務体系は週休2日で、休みの曜日、そして出勤時間帯も8時半や9時など、ライフスタイルに合わせて決められるシステムです。 渡邉さんは金曜日と土曜日を休みにしています。水曜日に打ち合わせを希望するお客さんが多いこと、週末が休みの夫と1日は休みを合わせたいと考えた結果だそうです。 一度決めた週休日も絶対的なものではなく、都合により変更することも可能とのこと。もちろん有給休暇も取れるので、伴野さんは「学校の参観日や運動会の時期は誰も来なかったりします」と笑います。 社員教育については“投資”と考え、社外研修の受講や業務に関わる資格取得に必要な費用を100%支給しています。先日は社員全員で北海道の家づくりの会社を訪問。事務所や物件を見学し、学びを得てきました。 社員のニーズに合わせた勉強会や講習会をアレンジすることもあります。渡邉さんによれば、社長面談の際に「構造の勉強をしたいです」と伝えたところ、すぐに取引先の詳しい人を呼んで講習の機会をつくってもらえたそうです。 「自分が住むなら」の気持ちで楽しみ、 挑戦をいとわない家づくり 人材採用について伴野さんは、「経験よりも熱量を重視する」と語ります。 「同業者から『いい人が来ない』という話をよく聞きますが、それは最初から経験豊富で知識があり、完璧な人を探し求めているからだと思います。僕は、たとえ未経験でも、トモノの家をつくりたい、その為に一緒に頑張りたいと熱い思いをもって来てくれるような人が好きなんです。情熱がある方はちゃんとした学びの機会さえあれば、あっという間に成長できます。逆にすごく知識や経験があっても、うちに向かない人もいます」(伴野さん) どんな人が向いていますか? と聞くと、「おしゃれが好きな人」という答えが返ってきました。 「それから、やっぱり熱量がある人ですね。熱量がある人は、知識や経験のなさも克服できると感じています。というのも、僕らはすごく『挑戦する会社』なんです。これまでの常識や、他社さんが面倒に感じてやらないようなことも積極的にやります。そのためには、やっぱり熱量が必要です」(伴野さん) トモノの家はシンプルでモダンな印象ですが、それぞれが違っていて同じものがないと言われるそう。ビジネスとしては、同じようなものや簡単なものをたくさんつくった方が効率が良いけれど、そういうものづくりはしたくないのだと伴野さん。 「家づくりを始めたときから、会社を大きくしたいとか売上いくらを目指そうとか、そういう気持ちはあまりないんです。ただ、お客さんと一緒に家をつくるのがすごく楽しくて。お客さんの家なんだけど自分の家みたいな感覚なんですよね」(伴野さん) 「自分が住むんだったらこうしたいな」という気持ちで、デザインも住み心地も良い家をつくる——これを続けるうちに共感するお客さんが増え、今にいたっているのだといいます。 お客さんと打ち合わせをするミーティングルームは暖かな雰囲気。キッズスペースもあり、保育士資格を持つスタッフが託児を担当する。 手間がかかること、難しいことも スマートにこなすプロ集団でありたい 会社として今後力を入れたいことを聞くと、伴野さんは人材育成と仕事のスピード向上の2つを挙げました。 「他社が『面倒くさいな、なんでそんなことやるの』と思うようなことを、僕らはスマートに速くやるプロ集団でありたいんです。同時に、若い人や家庭のある人も働き続けられるように、早い時間に帰れて休みもちゃんと取れる環境にしていきたい。これらを実現しつつきちんと利益を上げるために、全工程のスピードをあげてスムーズに仕事が進むようにしたいですね」(伴野さん) 最近の業務改善の例としては、住宅を建てる前の敷地調査を外注にしたということがあります。地域によっても異なる法令に則り様々な調査を行う必要があるため、専門の業者に委託することで社員の負担が減り、ミスも減るという効果がありました。 こういった改善は終わりがなく、日々の仕事の中で「こうしたら良いのでは」というところを見つけてどんどんやってみるという伴野さん。渡邉さんに「社員の皆さんは変化についていくのが大変では?」と聞くと、「会社を良くしようとしてのことだと分かるので、前向きに捉えている」とのことでした。 地元である佐久穂町が大好きだという伴野さんは、「日の当たる室内で、山の景色を眺めながらお茶を飲んでいるような時間がすごく幸せ」だそう。そんな幸せを感じられる家づくりを、これからもこの地域で続けていきたいと語ってくださいました。 トモノでは今のところ人員は充足しているものの、将来への投資のためにも、良い人がいれば採用したいと考えているそうです。興味を持った方は、以下のウェブサイトなどでトモノの家づくりへの思いや、社員の皆さんの様子などをご覧になってみてはいかがでしょうか? ・トモノ建築設計事務所|トモノが大切にしていること  https://tomono-inc.jp/comittment/ ・株式会社トモノ|採用サイト  https://tomono-inc.jp/recruit/ 文:やつづかえり

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