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- タブロイド版 こうみ・さくほ通信 | koumi-sakuho
タブロイド版 こうみ・さくほ通信 《こうみ・さくほ通信3号発行》 「こうみ・さくほ通信3号」が発行されました。今回は小海町にあるミステリアスなアート作品や、″ちょうどいいコミュニティ”にまつわる座談会を取り上げます。 どうぞお楽しみにご覧ください! 《こうみ・さくほ通信2号発行》 「こうみ・さくほ通信2号」が発行されました。『冬を愛する偏愛人』と称して、この地で冬を楽しんでいる方たちの座談会や<道の駅>のレンタルサイクル(e-bike) で両町内を巡った「食べ歩きツアー」など、2号も楽しい内容です。 どうぞお楽しみにご覧ください! 《こうみ・さくほ通信1 号発行》 これまで「さくほ通信」として14号まで発行してきた地元情報誌が、今年から小海町と佐久穂町の情報を発信する『こうみ・さくほ通信』にパワーアップし、8月に第1号が発行されました。両町で行われた祇園祭の様子、また両町の女性4名による座談会も楽しい内容です。どうぞお楽しみにご覧ください! 《さくほ通信バックナンバー》 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- われら、さくほ人〈第3号〉 | koumi-sakuho
われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 佐久穂の新しい花卉文化をつくる 第3号(2018年7月発行) 花卉農家 中島和輝さん [佐久中央小・佐久中卒 32歳] フラワーデザインを学び、栽培へ 花の色や形が多彩なトルコギキョウは、佐久穂町を代表する特産品の一つ。この一つ一つの花に愛情を込めて育てている、花卉農家の中島和輝さん。生産者として自身に満ちた表情が印象的だ。仕事に誇りを持ち、取り組む姿は、実に格好いい。 しかし、そんな中島さんも最初からこの道を志していたわけではない。雑貨などのデザインに興味を持ち、悩んだ末に、家業との中間をとって、フラワーデザインの道を目指した。 「何よりいろんな業界を見てみたいと思ったんです」と中島さん。東京の専門学校でフラワーデザインを学んだが、入学当初は、クラスでも花のことを知らない方だったという。卒業後、実際に花屋で働く中で、生産物としての花にだんだんと興味は増していった。新宿や銀座などの花屋で働き、いろいろな情報があつまる場所、さまざまなニーズがある場所で、経験を積んだ。 花卉農家として自分のスタイルを 23歳の時に、家庭の事情で実家に戻ることになった。それは生産者としてスタートすることを意味していた。当時、中島家では、生産だけでなく、小売りやブーケづくりなども手掛けるようになっていた。そこに自分としての“色”を出すために、自分自身の屋号(店舗のない花屋)も持つことに決めた。「NOCE(ノーチェ)」と名付けた。「NOCE」は、イタリア語で「木の実」を意味する。 「成長する中で一つの成果が木の実として結実します。また、それは次に続く、種でもあります。マークは、シャムロックという洋菊を使っています。菊は一般的に縁起の悪いイメージですが、シャムロックは外国では祝い事に使われる花です。そういったとてもいい花にあやかって、既成概念をくつがえしていきたい、そんな思いを込めています」と中島さん。 帰郷後、間もなく家業を継いだ。それから数年、自分なりのスタイルを身に付けつつあるが、まだまだ学ぶことは多い。 「花は気が抜けない。自分の甘えがダイレクトに出てしまう。自分が集中できなかったときなど、モノが悪くなってしまいます。きちんと目をかけてやることが大事です。今は自分の生活の一部。ごはんを食べるのと一緒。休みでも畑に行かないと気が済まないです」と、花に愛情を注ぐ毎日が続いている。 現在は、フラワーアレンジメントも受注している。写真は「母の日」用のアレンジメント キク・カーネーションからトルコギキョウへ 一方で、“花業界”への危機感を持つ。昔は佐久町といえば、キクだった。中島家も祖父の代でキク、カーネーション、父の代でカーネーションとバラをメインに扱っていた。特にバラなどは外国産の輸入物に押され、トルコギキョウへと移ってきた。今はトルコギキョウがメインだが、中島さんは、露地の花木を始めたり、冬の品目も何かできないか模索している。 花を実際に消費者に届ける場面や、フラワーデザインに携わってきたからこそ、もっと何かできるのでは、というもどかしさがある。 「自分が花屋で学んだことを生産現場で活かしたい。いろんな場面を見て、知っているからこそできることもあるはず。生産においても、小売りにおいても、どうやって花を生活に組み込んでもらえるか、もっと身近な存在にしてもらうのが課題。花の魅力を発信していく場所をつくりたいですね」と意欲を見せる。 個人としてはもちろんだが、佐久穂町の花卉栽培の発展にも展望を持ち、「花卉農家で自分は一番の若手。自分ががんばることで、花卉農家を魅力的に思ってくれる人が増えたら。今後、つないで守っていくためにも、新規就農者を増やしたいですね」と力を込める。 新しい感性を持ち、新しい風を持ち込む中島さん。今後、新しい花卉栽培の文化をつくっていくかもしれない。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
- Privacy Policy | koumi-sakuho
Privacy Policy 特定商取引に基づく表記 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストのスタイルを変更することもできます。作成したテキストは、ドラッグ & ドロップで自由に移動できます。ホームページを紹介したり、自己紹介テキストを入力しましょう。 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなど、テキストの スタイルを変更することもできます。作成したテキストは、ドラッグ & ドロップで自由に移動できます。 テキストの例です。ここをクリックして「テキストを編集」を選択するか、ここをダブルクリックしてテキストを編集してください。文字の色やフォントなどを変更することもできます。作成したテキストは、ドラッグ & ドロップで自由に移動できます。 なたのビジネスを紹介する長めのテキストにぴったりなスペースです。このスペースを活用して、サービスの特徴やおすすめしたいポイントを顧客に伝えましょう。ビジネスのアイデアをひらめいたきっかけ、他にはない独自のサービス、あなたのこだわりなど、個性的で心のこもった文章を書いて顧客の興味を引きつけることがビジネス成功の鍵となります。まずは、あなたのビジネスを知ってもらうことから始めましょう。 みなさまからのご意見をもとに、Wix では常におしゃれなテンプレート作りを目指しています。サイトに関するご意見やご要望は、 Wix サポートまでお寄せください。また、ご不明な点は Wix フォーラムに質問を入力していただくと、すぐに回答を得ることができます。プロに よる Web 制作をご希望の方は、Wix アリーナより Wix に精通したプロの Web デザイナーにホームページのデザインを依頼することができます。新機能のリリース情報、デザインのコツやおすすめの機能など、ホームページ作成に役立つ情報が満載の Wix 公式ブログに配信登録して、最新情報を見逃さないようにしましょう!
- STARS|まちの仕事、未来への星図
STARSは、小海町・佐久穂町で、夜空で輝く星のように、 まちで輝く企業や、働く人々のお話を聞くインタビューページです。 星空を見るように、ちょっと立ち止まって話を聞いてみてください。 まちの仕事を知ることで、自分の居場所や、未来への道筋が、 少しだけわかるかもしれません。 ★ ここに暮らす幸せを感じられる家をつくる、そのために常に挑戦する会社でありたい。 >>> 株式会社トモノ メンバーが楽しく幸せな会社で日本の地方を元気に! >>> 株式会社Vitalize 長野県地域発元気づくり支援金活用事業 | 佐久穂町と小海町による地域活性化のための同盟事業
- 株式会社トモノ | koumi-sakuho
★ ここに暮らす幸せを感じられる家をつくる、 そのために常に挑戦する会社でありたい 株式会社トモノ 株式会社トモノの本社は、長野県佐久穂町を東西に走る国道を脇道に入り、昔ながらの民家の間を通り抜けた先にあります。 社長の伴野健治さんが育った家をリフォームしたというこの事務所も出迎えてくれた伴野さんも、とてもおしゃれで都会的な雰囲気。そんな印象とは裏腹に、伴野さんは山々に囲まれた地元が大好きで、この町を出たいと思ったことはないそうです。地域のお客さんのために、この町にはなかったおしゃれな家をつくるトモノ。会社の成り立ちや組織の特徴、家づくりという仕事の喜びや大切にしていることについて、伴野さんと社員の渡邉千佳さんに聞きました。 自分たちが建てたい家を建てる会社にしよう 株式会社トモノのルーツは、1948年に創業した伴野鉄工という会社です。前社長の代まで建築用の鉄骨の製造を主としてきました。 住宅設計の事業は、伴野さんが経営を引き継いでから、奥様と二人三脚で立ち上げました。それから十数年経ち、今ではすっかり「トモノ=家づくりの会社」というイメージが定着しています。 会社の主軸を鉄工所から家づくりへと大きく転換したのはなぜだったのでしょうか。 「もともとおしゃれな建物が好きなんです。でも、鉄工所の仕事というのは工場をつくったり倉庫をつくったりで、あまり見た目にこだわるお客さんはいないんですよね。さみしいな、という気持ちがありました。 それと、自宅を建てようというときに色々な住宅会社さんを見て回ったんです。でもこの辺りでイメージに合う家をつくっている会社がなくて、それなら自分たちでつくっちゃおうかと。家をつくったことなんてなかったのですが、妻も設計やデザインを学んでハウスメーカーで働いていた経験があり、やってみようということになりました。それが会社として手掛けた住宅の1棟目です」(伴野さん) 住宅の事業を立ち上げて十数年、当初この地域にはなかったモダンでおしゃれな住宅も増えてきた。 自宅を建てるだけにとどまらず事業にしようと考えたのは、伴野さんのように「デザインにこだわった家をつくりたい」と考えるお客さんがきっといるはずだと確信があったからだそう。 しかし当初は、「鉄工所が家なんて作れるのか」と馬鹿にされたり、業者さんからはこれまでにないデザインに挑戦することに不満を言われたり、「住宅のトモノ」を受け入れてもらえるまでには時間がかかりました。最初の3年は年に1棟建てるくらいだったそうです。 転機になったのは、デザインだけでなく「性能の高い家」をつくっていこうと決めたことでした。 健康に良い高性能な住宅しか作らないと決めた 「最初に建てたご自宅は、満足のいくものになったんですか?」と聞くと、伴野さんは「実はとてつもなく寒いんですよ」と苦笑い。 今でこそ「高気密・高断熱」の暖かい家が注目されるようになってきましたが、伴野邸を建てた12年前はそうではありませんでした。伴野さんも、デザインにはこだわる一方で住宅の性能には意識が向いていなかったようです。 しかしある時、取引先の社長と住宅関連メーカーの高性能住宅担当の営業さんから「住宅をやるなら高気密・高断熱住宅をやりましょう」という話を聞かされた伴野さん。勉強会に参加したりするうちに、住宅の性能が住む人の健康に影響することなどを知るようになります。 その頃、先代である伴野さんのお父様が、お風呂場で倒れて意識が戻らないまま闘病中でした。急激な温度の変化で血圧が大きく上下し心筋梗塞や脳卒中などを引き起こす「ヒートショック」が原因だったようです。 「父親の経験があって、健康に良い高性能な住宅を作らなければいけない、お客さんにはそういう住宅に住んでもらわなきゃいけないと考えるようになりました。それからは高気密・高断熱の住宅しかやらないと決めたんです」(伴野さん) 決意を固めた伴野さんは、次に手掛ける住宅で国が始めたばかりの高性能住宅向けの補助金を獲得しました。 「今でこそゼロ・エネルギー住宅というのが普通になってきましたが、当時はまだ少なくて、長野県内でその補助金を取った3棟中の2棟がトモノで建築した家でした」(伴野さん) それをきっかけに広報や住宅見学会、家づくりの勉強会などに力を入れ、徐々にお客さんが増えていったそうです。 多くの女性社員が活躍する職場 今では、長野県の東信エリアを中心に北信や山梨県北杜市にまでお客さんがいるトモノ。伴野さんが引き継いだ頃は3〜4名だった社員も35名ほどになりました。 3年前に入社した渡邉千佳さんは、お客さんと打ち合わせをしながら住宅の仕様や設備をコーディネートする業務を担当しています。 以前は住宅営業の仕事をしていましたが「つくる」側になりたいと学校に通い、二級建築士の資格を取得しました。 その後トモノに入社し実務経験を重ねることで、提案の引き出しが増えてきたといいます。お客さんの要望をどう叶えようかと悩むこともありますが、家が完成して喜ぶお客の姿にとてもやりがいを感じるのだそう。 「入社してみて、想像していた以上にお客さんと家の話をできるのが楽しい」と語る渡邉さん そんな渡邉さんのことを伴野さんは、「すごく一生懸命な人。一生懸命やってくれているのがお客さんにも伝わっているのがとてもいい。僕がお客さんだったとしても、渡邉さんに担当してほしい」と太鼓判を押します。 一般的には、建築会社は男性の割合が多い傾向にあります。しかしトモノでは女性が多く働いており、事務所を訪れた業者さんに驚かれることもあるそうです。 女性が多い理由のひとつは、トモノの建てる家がおしゃれで、「こんな素敵な家づくりに関われたらいいな」という人を惹きつけることにありそうです。 しかし、憧れだけでは続かないのが仕事というもの。家づくりに関わろうと思えば知識やスキルが必要だし、工事の進捗やお客さんの都合に労働時間が左右されることも多いでしょう。 その点、トモノは未経験者も積極的に採用し社員を育てていく姿勢があり、勤務体系が柔軟です。「ここで働いてみたい」という人に門戸が開かれているのです。 柔軟な働き方、教育の充実で未経験者から働き続けられる会社に 事務所ではたくさんの女性が働いている。 トモノの会社としての休業日はお盆と年末年始のみで、土日や祝日も営業しています。しかし社員の勤務体系は週休2日で、休みの曜日、そして出勤時間帯も8時半や9時など、ライフスタイルに合わせて決められるシステムです。 渡邉さんは金曜日と土曜日を休みにしています。水曜日に打ち合わせを希望するお客さんが多いこと、週末が休みの夫と1日は休みを合わせたいと考えた結果だそうです。 一度決めた週休日も絶対的なものではなく、都合により変更することも可能とのこと。もちろん有給休暇も取れるので、伴野さんは「学校の参観日や運動会の時期は誰も来なかったりします」と笑います。 社員教育については“投資”と考え、社外研修の受講や業務に関わる資格取得に必要な費用を100%支給しています。先日は社員全員で北海道の家づくりの会社を訪問。事務所や物件を見学し、学びを得てきました。 社員のニーズに合わせた勉強会や講習会をアレンジすることもあります。渡邉さんによれば、社長面談の際に「構造の勉強をしたいです」と伝えたところ、すぐに取引先の詳しい人を呼んで講習の機会をつくってもらえたそうです。 「自分が住むなら」の気持ちで楽しみ、 挑戦をいとわない家づくり 人材採用について伴野さんは、「経験よりも熱量を重視する」と語ります。 「同業者から『いい人が来ない』という話をよく聞きますが、それは最初から経験豊富で知識があり、完璧な人を探し求めているからだと思います。僕は、たとえ未経験でも、トモノの家をつくりたい、その為に一緒に頑張りたいと熱い思いをもって来てくれるような人が好きなんです。情熱がある方はちゃんとした学びの機会さえあれば、あっという間に成長できます。逆にすごく知識や経験があっても、うちに向かない人もいます」(伴野さん) どんな人が向いていますか? と聞くと、「おしゃれが好きな人」という答えが返ってきました。 「それから、やっぱり熱量がある人ですね。熱量がある人は、知識や経験のなさも克服できると感じています。というのも、僕らはすごく『挑戦する会社』なんです。これまでの常識や、他社さんが面倒に感じてやらないようなことも積極的にやります。そのためには、やっぱり熱量が必要です」(伴野さん) トモノの家はシンプルでモダンな印象ですが、それぞれが違っていて同じものがないと言われるそう。ビジネスとしては、同じようなものや簡単なものをたくさんつくった方が効率が良いけれど、そういうものづくりはしたくないのだと伴野さん。 「家づくりを始めたときから、会社を大きくしたいとか売上いくらを目指そうとか、そういう気持ちはあまりないんです。ただ、お客さんと一緒に家をつくるのがすごく楽しくて。お客さんの家なんだけど自分の家みたいな感覚なんですよね」(伴野さん) 「自分が住むんだったらこうしたいな」という気持ちで、デザインも住み心地も良い家をつくる——これを続けるうちに共感するお客さんが増え、今にいたっているのだといいます。 お客さんと打ち合わせをするミーティングルームは暖かな雰囲気。キッズスペースもあり、保育士資格を持つスタッフが託児を担当する。 手間がかかること、難しいことも スマートにこなすプロ集団でありたい 会社として今後力を入れたいことを聞くと、伴野さんは人材育成と仕事のスピード向上の2つを挙げました。 「他社が『面倒くさいな、なんでそんなことやるの』と思うようなことを、僕らはスマートに速くやるプロ集団でありたいんです。同時に、若い人や家庭のある人も働き続けられるように、早い時間に帰れて休みもちゃんと取れる環境にしていきたい。これらを実現しつつきちんと利益を上げるために、全工程のスピードをあげてスムーズに仕事が進むようにしたいですね」(伴野さん) 最近の業務改善の例としては、住宅を建てる前の敷地調査を外注にしたということがあります。地域によっても異なる法令に則り様々な調査を行う必要があるため、専門の業者に委託することで社員の負担が減り、ミスも減るという効果がありました。 こういった改善は終わりがなく、日々の仕事の中で「こうしたら良いのでは」というところを見つけてどんどんやってみるという伴野さん。渡邉さんに「社員の皆さんは変化についていくのが大変では?」と聞くと、「会社を良くしようとしてのことだと分かるので、前向きに捉えている」とのことでした。 地元である佐久穂町が大好きだという伴野さんは、「日の当たる室内で、山の景色を眺めながらお茶を飲んでいるような時間がすごく幸せ」だそう。そんな幸せを感じられる家づくりを、これからもこの地域で続けていきたいと語ってくださいました。 トモノでは今のところ人員は充足しているものの、将来への投資のためにも、良い人がいれば採用したいと考えているそうです。興味を持った方は、以下のウェブサイトなどでトモノの家づくりへの思いや、社員の皆さんの様子などをご覧になってみてはいかがでしょうか? ・トモノ建築設計事務所|トモノが大切にしていること https://tomono-inc.jp/comittment/ ・株式会社トモノ|採用サイト https://tomono-inc.jp/recruit/ 文:やつづかえり
- さくほ人座談会〈第6号〉 | koumi-sakuho
消防団員としての使命を再認識した台風19号 第6号(2019年12月発行) 巴 桂太さん 小須田達彦さん 中村健人さん 菊池真由美さん 小宮山花恵さん 台風 19号で被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。 ~わがまちを守る消防団~ 今回、さくほ通信の制作にあたり、10月 5日(土)に、佐久穂町の消防団員の方5名にインタビューを行いました。そして、その1週間後、台風19号が長野県内はじめ、全国に甚大な被害をもたらしました。今回、台風直撃前に行った消防団員インタビューと、台風19号で実際に消防団員として活動した団員の方の話を掲載します。 今回の台風災害にあたり、消防団員として、どんなことを感じましたか。 何より、自分が住んでいる場所が大きく変わってしまった。そこらじゅうで土砂崩れが起こり、その状況に茫然としてしまいました。 団員としては、雨が降っている間は、避難所へ早く避難するように声を掛けてまわりました。土のうを作ったり積んだり。台風が過ぎて一夜明けてからは、被災されたお宅の土砂のかき出し、土砂崩れがあった道が通れ るように土砂をどかしました。とにかく自分のできることをやるのに必死でした。 「自分は大丈夫だ」と思わず、避難勧告が出たらすぐに避難してください。それと普段からの備えが大事になってきます。断水、停電などが起きないとも限らないので、想定した備えは必要だと思います。 消防団員の重要性を実感したのでは 実際に災害を経験して、台風19号が来る前と後では、災害についての考え方が大きく変わりました。年間団員をやってきて、本格的な災害は初めて経験しました。実際に何ができたかは分かりません。どれだけできたのかも分かりません。でも、私たち消防団員が状況を見て、避難を呼びかけたりしないといけない。それが命を守ることにも直結します。道を通れるようにすることもそうですが、自分たちの使命を再確認しました。 被災された方の少しでも力になれるような存在でありたい。自分ができることは限られているけど、自分ができることで、消防団員として地域のために関わっていきたいです。 台風19号で甚大な被害を受けた大日向地区で活動する小須田達彦さん 防災訓練では地域防災力を高める活動を行っている。(大日向4区) 防災訓練では地域防災力を高める活動を行っている。(大日向4区) 消防団員座談会 Q:消防団に入団したきっかけ 巴桂太さん(以下巴) 住んでいる地区が二十数軒しかないので︑自然な流れですね。地元で働いていると声が掛かりますね。 小須田達彦さん(以下小須田) 就職して2年目ぐらいに、班の先輩に誘われて。私も入って当然という感じでいました。 中村健人さん(以下中村) 団長と同じ職場なので、入社してすぐに声が掛かりました。 菊池真由美さん(以下菊池) 女性班ができたのは昨年ですが、その前から入団しています。役場の保育士として採用された時に誘われ、同期3人で誘い合って入りました。3人一緒ならできるかなと。 小宮山花恵さん(以下小宮山 ) 父が消防団に入っていましたが、女性班ができたということで、勧められました。 Q:消防団のいいところ、やりがいは 巴 いろんな職業の方がいて、それぞれ動ける時間も違ったりしますが、それぞれができる範囲での活動で、なおかつみんなでフォローし合って、成り立っているのが消防団だと思います。それぞれがつながりを持ちながら、地域のためになっているのかな。しっかり見てくれている人がいて、「ご苦労さま」と声を掛けてもらえるのも嬉しいですね。 中村 火事の残火処理の時に、近所の人に「ありがとう」と声を掛けてもらい、地域の役に立てていることを実感します。 菊池 ラッパ班に所属していましたが、小中高と吹奏楽部だったので、楽譜が読めない人に教えてあげたり、昔の経験を生かせるのがいいですね。他に女性として何ができるかというと、火災などに遭われたお宅のお子さんなどがいたら、安心できるよう、気が休まるように接してあげるなど、女性ならではの貢献ができればと思っています。 小宮山 入団1年目なので具体的にはまだこれからです。介護の仕事をしているので、介護が必要な方がいれば自分の強みを生かせれば。小さな子どもが好きなので、話し相手になってあげたりもしたいですね。 Q:消防団でできたつながりは 巴 入団した時に年が近い先輩でも7〜8歳以上離れた知らない人ばかりでしたが、皆さん気さくに声をかけてくれて、飲みにも連れて行ってもらったり、お世話になりました。入らなければ分からなかった人も多かったのですが、消防団に入ったことでいろんなコミュニティができました。 小須田 近所の30~40代の知り合いができました。(ポンプ操法の)選手をやってからはいろいろ教えていただいたり、分団内の他の班の人とも知り合いになりました。 中村 広い年齢層の方とのつながりができました。幅広い職種、年齢の人と話ができるのは、消防団に入っているからこそ。ポンプ操法で選手をやると、いろんな人から声を掛けてもらうようになりました。自分の人生相談や、アドバイスをしてもらったり・・・消防団に入ったからこそできたつながりです。 菊池 ラッパ班は特定の地域ではなく町内全域なので、広い地域の人と知り合うことができます。保育士は外部と関わることがあまりないので、いろんな方と接するということは、視野も広がりますし、自分のためにもなります。 Q:消防団に入る前のイメージと、実際やってみて感じることは 巴 入団する前は消防団のイメージはほとんどありませんでした。厳しいこともありますが、終わってからの懇親会など皆さんといろんな話ができるのは楽しい。その一方で、ちゃんとやるべきときはちゃんとやる、メリハリがついているのが消防団です。 中村 私のところは上下関係も特に厳しくないですし、〝お酒を飲むイメージ〞がありましたが、そんなこともなく、入団前に持っていたイメージよりもやりやすいですね。 菊池 諏訪市に住んでいた時、豪雨があり、消防団の方が訪ねてきて避難を促されました。膝丈まで水が来たのですが、助けていただいたことがありましたし、ラッパ隊の方が毎晩練習する姿を見て格好いいと思っていたので、もともといいイメージを持っていました。 Q:防災について地域の人に伝えたいことは 巴 防災は子どもの頃からの教えが大事です。コンセントなどがそうですが、火遊びで簡単に火災が起こってしまうことを知ってほしいです。保育士さんなどにはぜひ消防団に入ってもらって、自ら知識を身に付けて、子どもたちに教えてほしいですね。 みなさん自分は大丈夫だろうと思っている方が多いようですが、そう思わず、誰にでも起きうると思って、日ごろから意識していただければ。 昨今は地域防災力を高める必要性が増しています。行政だけでは限界があります。地域に住んでいる人にも、一緒になって取り組んでもらいたいです。 新入団員募集中です。自分たちの住んでいるまちを守るために一緒にやりましょう。 取材後記 今回の台風19号で私たちのために尽力してくれた消防団員のみなさん。消防団の役割や、重要性を感じられた方も多いことと思います。消防団活動へのご理解や、ご協力をお願いします。 団員の方の言葉にもありましたが、消防団員を募集しています。興味のある方、地域への貢献を考えている方は、ぜひ、力を貸してください。 ■参加者プロフィール 巴 桂太さん (34歳)八千穂小・八千穂中卒 第4分団 小須田 達彦さん (31歳)佐久東小・佐久中卒 第3分団 中村 健人さん (25歳)佐久西小・佐久中卒 第2分団 菊池 真由美さん (34歳)佐久中央小・佐久中卒 女性班 小宮山 花恵さん (20歳)八千穂小・八千穂中卒 女性班 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
- さくほ人座談会〈第7号〉 | koumi-sakuho
祝成人 佐久穂中学校第1回卒業生 20歳(ハタチ)になる同郷の友へ、エールを 第7号(2020年8月発行) ※年齢、肩書、在校等は発行時のものです。 平成27(2015)年4月、佐久穂小・中学校が開校。翌年3月に佐久穂中学校を最初に卒業した皆さんが、今年、成人を迎えます。 6月某日、当時の生徒会役員のうち、5名の皆さんにオンライン対談に参加していただきました。成長した自分を見てもらい、同詩に仲間の顔を見ながら、懐かしい当時を振り返りました。 今回オンライン対談に参加していただいた皆さんの卒業当時の写真です。 小林 大恭さん 八千穂小学校 佐久穂中学校卒9年3組 内藤 翔さん 八千穂小学校 佐久穂中学校卒9年1組 篠原 莉里さん 佐久中央小学校 佐久穂中学校卒9年3組 岡部 紗良さん 佐久西小学校 佐久穂中学校卒9年2組 松澤 杏実さん 佐久中央小学校 佐久穂中学校卒9年4組 Q:記念すべき第_回の卒業生ですが、新しい学校へ移った時の感想は? それまで知らなかった人たちと_緒に過ごすことになってどう感じましたか? 小林 一番最初ということで、生徒会で元をつくったリ、決めることが多くて大変でした。統合して数力月ですぐ打ち解けて仲良くなれました。 内藤 とにかく校舎がきれいなことが印象深かったです。今までにこんなにきれいな建物を見たことがないくらいきれいでした。暖房設備が充実していて快適でした。体育館もきれいで、僕はバスケ部だったんですけど、とても使いやすかったのを覚えています。八千穂中でずっと仲間が変わることなく過ごしてきたので、最初は不安もありましたが、統合してからはすぐに打ち解けて仲艮くなりました。 篠原 佐久中は古い校舎だったので、それに比ペてちゃんとした設備のあるところで学べるのは、有り難かったです。それは地域の方々のおかげと思っているので、そういうところにありがたみを感じたし、学校生活をよくしたいと思いました。それまで知らない人たちと過ごすことは、特に不安もなく、すぐに打ち解けられると 思いました。 岡部 もともと佐久中だった人は、中学一年の後半から新しい校舎にいたので新校舎での思い出がほとんどですが、最初移った時は、きれいで明るいなと感じました。ものすごく広くて、迷子になりそうだな、という感想を持ちました。前の校舎から移って寂しいというよりは、きれいな校舎で学べることでワクワクする気持ちの方が大きかったですね。それまで知らなかった人たちと過ごすことは、前の先生やクラスメートとばらばらになる のは寂しかったですが、最後の一年は新しい顔ぷれでそれはそれで楽しい一年になりました。 松澤 校舎がきれいで、私たち佐久中の生徒は、先に校舎に入っていたので、きれいな状態を保たないといけないなと思いました。もともと佐久中は2クラスだったので、4クラスになると聞いて、驚いて、また不安もありましたが、すぐに仲良くなれました。今日、久しぶりに学校に来ましたが、すごく懐かしいです。全然変わっていないなって。今、交流ホールにいるんですけど、文化祭の前に合唱練習したのを思い出します。 Q:統合して良かったと思うことは?逆に苦労したことは? 小林 友だちが増えたことが良かったです。八千穂だと50人ぐらいでした。倍以上に増え、交流が広がりました。 内藤 自分も人脈が広がったことです。八千穂から来ると新鮮な体験があって充実してました。すべてが初めてということで、苦労した点でもありました。 篠原 私も友だちがたくさん堵えたことです。友だちとの関係はずっと続いていくものなので、中学の時期にたくさん出会えたことはよかったです。普通は3年間同じ仲間ですが、統合があったことで、沢山の友だちと関わることができました。苦労したことは覚えていないくらいないです。 岡部 私も最後の一年間で新しい出会いがあり友達が増えました。苦労したことは、それぞれの学校で委員長がいたので、たくさん話し合いをしました。いろんな意見があってまとめるのに苦労しました。 松澤 いろんな人と出会えて仲良くなれたことです。また行事が大規模でできるようになって、その分盛り上がりも大きくなりました。私は図書委員長をしていたのですが、図書館が小中共同なので、生徒会で小学生とも交流できるものを企画して、と頼まれた時は大変でした。 Q:ふるさと佐久穏町を離れて感じること、外から見た佐久穂町をどう感じる?また、離れて改めて感じる佐久穂町の魅力は? 小林 関東はとても暑さがこたえますが、佐久穂町は涼しいですね。 内藤 東京はあらゆるものが揃い便利な街ですが、危険も多いです。佐久穂町は安全ですね。通学時の満員電車などストレスも多いです。変わっている人も多いというか、コロナもそうですが、自分の身を守る危機管理が大事な街です。佐久穂町に帰ると、水のおいしさ、空気のおいしさを実感します。 篠原 人の温かさですね。帰省して歩いていると、近所の人が声を掛けてくださったり、東京ではありえない、地域の人との関係は、佐久穂町でしか感じられないことです。 松澤 私は松本市に住んでいますが、「佐久穂町出身」というと、「そこ、どこ?」つて言われます(笑)。名前が知れ渡っていないな、と思いました。松本は雨が多くて湿気っぽい。佐久穂町はカラッとしていて、洗潅物がよく乾きますね。 岡部 私は地元を出ていないので外と比較できませんが、地元の人と接する仕事をしていると、優しい人が多いと感じます。 Q :外に出て、佐久穂人としてのアイデンティティーを意識する? 小林 (佐久穂町はどこかという話になると)軽井沢の近くつて言ってしまいます。その方が伝わりやすくて。 篠原 両親が送ってくれた味噌や醤油の味に、佐久穂人だなあと感じています。 松澤 佐久穂町ってどこ?って言われると悔しいです。佐久市は通じるのに、佐久穂町っていうと通じなくなるんです。何が有名なの?って聞かれて、プルーンとかカーネーションって言うと、へえ、みたいな(微妙な反応)・・・。 Q 10年後、あるいは20年後、ふるさと佐久穂町とどう関わっていると思う?(あくまで想像の域で、暮らしている?働いている?) 小林 薬剤師を目指しているので、将来的には地元に戻って、病院、薬局どちらか決めていませんが、地元で地域医療の中で関わっていければと思っています。 内藤 まだ具体的ではありませんが、将来なりたい職業の―つに教師があって、もし教師になるなら、ぜひ、地元長野県に帰ってやりたいと思っています。 篠原 大学を卒業したらすぐに地元に滞りたいと思っています。放射線技師を目指しているので、地元に戻って、佐久地域の医療に貢献できたら。就職して地元に恩返しがしたいです。 岡部 10年、20年後は想像できないことも多いのですが、地元がすごく好きなので、何かしら関わっていると思います。 松澤 管理栄養士を目指しているので、資格をとれば医療関係の仕事に就けます。まだ、具体的にどこに就職とかは考えていないんですけど、佐久地域の医療に携わることができたら、と思っています。 Q :佐久穂町がもっと「こうなればいい」という希望がある? 小林 八千穂IC近くに道の駅ができると思いますが、人が集まる場所になってくれたら。夏になったら友だちを連れてキャンプに行く計画をしていたので、若い人が集まる夏のレジャー施設が充実したらいいなと思います。 内藤 自然環境がよくて十分魅力的です。個人的にはこれ以上望むものはなくて、今のままでいいですね。 篠原 佐久穂町の友だちで関東に行っている人の中にも、「佐久穂町に帰りたい」っていう人もいます、佐久穂町は今でも十分すばらしいです。これからの時代、高齢者が増えるので、高齢者により優しい町になってくれたら。 岡部 住んでいて、いいところだと日々感じています。地域の人が交流を深められたり、参加できるイベントが増えていくといいなと思います。 松澤 自然豊かでいいし、特にこうなってほしいというのはありませんが、魅力のある町なので、もっと外にアピールしていったほうがいいと思います。 Q :帰ってきたい人が多いですが、地元に帰りたい、そう思わせるのはなぜ? 小林 知り合いがいることで安心感につながって、仕事がしやすくなるのではないかと思うし、地元への感謝の気持ちもあります。生まれ育った土地なので、今まで支えてきてくださった方々に、医療の面から恩返しをしたいと思っているからです。 内藤 東京は人が多すぎで、そういった面では大変で苦労しそう。自分も佐久穂町で育ってのびのび生活できたので、働く側としてもやりやすいと思うからです。 篠原 東京では孤独を感じるので。佐久穂町には近くに友だちもいるし、人の温かみが感じられるのが大きいです。 Q :県外の大学へ行きたいとは思わなかった? 松澤 都会の雰囲気、空気が苦手なので。管理栄養士になって、長野県の食に関する健康問題を、どうしたら解決できるかを個人的に学びたいと思ったので。就職してからもやっていけたらと考えています。 Q :成人式で、旧友との再会に期待することは。最後に、旧友へのエールを 小林 みんながどうなっているか、SNS上でしか知らなかったり、近況が分からない人もいるので楽しみにしています。お世話になった先生に会えるのも楽しみです。コロナで大変な時期ですが、力を合わせて、成人式を成功させましょう。 内藤 しばらく会っていない人と、会って話したいです。地元を離れているので、佐久穂がどう変わったよ、とか話すのも楽しみです。コロナもありますが、これから時代がどう変わっていくのか分かりませんが、せっかく、同じ学校でたくさん仲間ができたので、協力していきましょう。 篠原 ほとんどの人がバラバラになってしまっているので、みんなが進路をどう考えているか、その近況を知ることができたら、励みにもなったり楽しいと思います。自分が進むと決めた道に進んで、それがたとえ地元を離れた場所であっても、間接的にでも佐久穂町に還元できたらと思うので、頑張りましょう。 松澤 近況を知らない人も多いので、みんなで集まって話をして。同じ職業を目指している人と、話が盛り上がれば。何だかんだ言っても、地元の友だちが何でも話しやすいと思うので、何か困ったら相談したらいいと思う。 岡部 高校からバラバラになってしまった人が多いので、元気で会えることが一番。みんながいろいろな夢を持っていると思います。今年20歳という歳を迎えるので、お互い夢や目標に向かって成長していければいいな、と思います。頑張りましょう。 Q: みなさんの近況を教えてください 小林大恭さん(以下小林) 群馬県高崎市の高崎健康福祉大学の薬学部に在籍して、薬剤師を目指しています。 内藤 翔さん(以下内 藤) 東京都立大学のシステムデザイン学部に通っています。一般的にはあまり聞きなれない学部ですが、プログラミングを専門的にやる学部です。これからの時代、プログラミングとかIT関係が重要と考え、取り組んでいます。 篠原莉里さん(以下篠原) 杏林大学に通っていて、保健学部の診療放射線技術学科に在籍しています。勉強頑張ってます。 岡部紗良さん(以下岡部) 私は佐久穂町の郵便局で働いています。窓口で手続きやハガキ、切手販売などの業務をしています。 松澤杏実さん(以下松澤) 松本市の松本大学健康栄養学科で、管理栄養士を目指して学んでいます。 私たちも夢に向かってがんばっています! 今回オンライン対談には参加できませんでしたが、オンライン対談を開催するにあたりサポートしてくれた2人からエールをいただきました。 髙柳 夏生さん 上田女史短期大学在籍 佐久西小学校 佐久穂中学校9年1組 ①自身の近況と目指している夢 卒業に向けて卒論や就活など色々なことを進めているところです。目指している夢は特には決まってないですが、 何か人のためになるような事をしたいと考えています。 ②同級生へエールを コロナウイルスの影響で色々と不便な事があるかと思いますが何とか乗り越えて頑張っていきましょう。 友野 萌さん 上田女史短期大学在籍 佐久中央小学校 佐久穂中学校9年1組 ①自身の近況と目指している夢 今は短大に通い自分が取りたい資格や免許を取得するために日々勉強しています。今年は2年生になり、やる事も増えて大変ですが 同じ短大の仲間と一緒に励まし合いながら頑張っています。目指している夢は、まだはっきりとしていなく、ぼんやりと思っている程度なのですが、小さい頃から過ごしており、1番思い入れがある地元に近い場で就職したいと考えています。 ②同級生へのエールを いよいよ大人の仲間入りというこの年に、不安になるような事が起こり大変だとは思いますが、このような事に負けず無事に乗り越え、一人ひとりが立派に成長できたら良いなと思っています。 お互いに頑張りましょう! 恩師からのエール 覚えていますか。私たちからも、エールを送ります! 大西 由美先生 佐久穂中学校 学年主任(当時) ①近況 佐久穂中学校で勤務しています。 皆さんと同じ青ジャージの現在8年3組の担任で日々頑張っます。 ②子どもたちへのメッセージ 早いもので皆さんも20歳になるんですね。 統合した年の卒業生、立派な大人になったことでしょう。明るく楽しく元気よく生活していた皆さんのことは絶対に忘れないと思います。一度きりの人生、思い切り楽しんで下さいね。 山岸 真路先生 佐久穂中学校 9年1組担任(当時) ①近況 佐久穂中学校で8年1組の担任をしています (3回目の青ジャージ担任です)。 男子12名+女子16名、計28名の、笑顔の絶えないにぎやかな子どもたちに囲まれて楽しく生活しています。皆さんに可愛がってもらった息子の宏太朗は、中込中の2年生になりました。男子バレーボール部に入部して頑張っています。身長も180cmになり、見上げて怒っています(笑) 。 今57歳・・・体はそこら中が痛みますが、何とか頑張っています。 ②子どもたちへのメッセージ 「2621」 の皆さん、 「2791」 の皆さん、成人おめでとうございます。旧校舎から新校舎へ引っ越しから統合という難局を、共に乗り越えてきた皆さんは、私にとって教え子でありながら「戦友」 でもあり「同志」でもありました。すでに働いている人もいれば、学業に勤しんでいる人もいると思います。とにかく元気でいてください。自分のまわりの人の中に「キラリ」を沢山みつけられる人でいてください。そしてふるさと佐久穂の動物を、植物を、自然を愛し、誇りを持っていてほしいです。君たちの「これから」に幸あれと祈っています。 清水 恒作先生 佐久穂中学校 9年2組担任(当時) ①近況 現在、松本市立明善中学校に勤務しています。佐久穂中学校の時と同じく、社会科を教え、バスケットボール部の顧問をしています。変わったことと言えば、髪が短くなったことと、転んだ時に前歯が折れたので、前歯がプラスチックになったことくらいかと思います。 ②子どもたちへのメッセージ コロナウイルスの影響で、 色々なことができなくなり、広い社会に出ようとする皆さんにとっては、とても厳しい時代を迎えています。しかし、私の10倍以上は元気な皆さんであれば、そんな苦労も乗り越えられるのではないかと思います。次に会う機会があれば、 少なくとも私よりはエネルギーあふれる姿であることを願ってます。 下條 将先生 佐久穂中学校 9年3組担任(当時) ①近況 伊那東部中学校5年目で、 現在2年生の担任をしています。女子バスケットボール部の顧問をしていて、県の選抜活動にも携わっています。30歳になり、昨年4月には長男が生まれ、3人家族になりました。 ②子どもたちへのメッセージ 世の中の仕組みや、社会情勢が目まぐるしい速度で変わっていく時代です。すでに社会に出ている人も、これから社会に出ていく人も、学びを止めることなく、成長していってください。素敵な大人になったみなさんに、いつかまたどこかでお会いできる時を楽しみにしています。 宮田 亨先生 佐久穂中学校 9年4組担任(当時) ①近況 佐久穂中学校で6年目を迎えています。 年齢はみなさんと出会った頃は30代でしたが、43歳になってしまいました。みんなが立ち上げた佐久穂中の伝統を後輩たちが立派に引き継いでいけるように日々頑張っています。 佐久穂中がどんな学校になっているか皆さんの目で確かめてください。 ②子どもたちへのメッセージ それぞれ場所は違うかもしれませんが、 同じように頑張っている仲間が たくさんいます。自分自身の目標に向かって歩みを進めてください。故郷の佐久穂町はいつもみなさんの背中を押してくれています。いつでもお待ちしています (私はずっといるわけではありませんが・・・笑)
- さくほ人座談会〈第5号〉 | koumi-sakuho
さくほ人のフィールドオブドリームス 佐久穂町早起き野球連盟 第5号(2019年8月発行) 2019年5月11日に行われた開会式にて 夏は高校野球が日本列島を熱く盛り上げます。それに負けない思いやハッスルプレーで野球に取り組んでいる熱き男たちが佐久穂町にいます。かつての球児たちは、大人になっても変わらぬ野球愛で、早起き野球という場に舞台を移し、白球を追いかけます。佐久穂町の早起き野球チームの4チームを代表して、8人のさくほ人に聞きました。 Q:球歴また早起き野球を始めた軽緯は 小平クラプ 土屋潤さん(以下土屋) : 小学校5年の少年野球から中学、高校(野沢南)、大学ではサークル、就職してからも早起き、体育協会(以下体協)の野球とずっと野球を続けています。 小平クラブ 小池良さん(以下小池) 僕も同じように小学校から中学、高校(野沢北)、大学、就職して早起き、体協と継続してやっています。 穂積愛球 石井裕太さん(以下石井) 大学のサークルから始めて、地元に戻ってから会社(樫山工業)でもやっています。 穂積愛球 小清水将志さん(以下小清水) 小学校4年生から、中学、高校(小諸)、大学、今も体協や早起きなどでやっています。 S 菊池俊文さん(以下菊池) 小学校から始めて、大学を卒業してからは、クラブチームの「佐久コスモスターズ」に在籍していました。全日本クラブ野球選手権に出場したのがいい思い出です。今は、松本市で「しなののてっぺん」というチームでもやっています。 S 小林裕太さん(以下小林) 野球未経験ですが、誘われて今年から入りました。代走でもいいからと。 (速い)足を買われて・・・のようです。 佐久プレイボーイズ 関龍一郎さん(以下関) 野球を始めたのは大学時代。地元出身ではなく神奈川の出身です。早起きに参加したのは、こちらで就職したとき、「知り合いをつくるのにいいから入れ」と職場で誘われたのがきっかけです。今はナイターソフトもやっています。 佐久プレイボーイズ 須田隆太さん(以下須田) 小学校4年生の時に始め、中学、高校(岩村田)と続け、今年はこのリーグでもチーム掛け持ちでやっています。とにかく野球が好きなので、いっぱいエンジョイしています。 Q:早起き野球の魅力は 土屋 いろんな知り合いができるのがいいですね。早起き野球で知り合った人がたくさんいます。日中眠たくてつらいこともありますが、何といっても夏場の朝は気持ちがいいですよ。 小池 世代を超えたつながりもできます。歳をとってくると打って、守って、走ってと精度の高いプレーはできなくなるかもしれないけど、それでも和気あいあいできるのが魅力です。 石井 みなさんと同じように地元の人との交流ができることは楽しいですし、朝、試合をやってから出社するのは一日の始まりとしていいですね。 小清水 仕事にも気合が入りますね。普段は朝、寝覚めが良くないんですけど、早起きの日は早く起きれます。 菊池 健康でいられるし、仕事にも活気がでます。シーズン前には決起集会があったり、終わればまた一杯と、それが楽しみという人もいますね。 関 早起きは三文の徳ではないですけど、朝日を浴びて、新鮮な空気の中、体を動かすのは気持ちがいいですよ。ただ、ナイターソフトが重なる日はきついですけど。 須田 人とのつながりができるのも嬉しいですが、朝、いいプレーができて活躍できると、その日一日がハッピーになります。翌週までがんばれそうな気持になります。逆に活躍できないと一日“ブルー”になってしまいます。 小林 自分は野球未経験者なので、まずはルールを覚えようかと思っています。 Q:優勝したチームはその先の大会でも活躍しているようですが 石井 リーグ戦の結果で先に進むのですが、県の大会で優勝したり、全国大会までいったこともありますが、佐久穂町を代表して戦う気持ちは特別です。 Q:野球人口が減り、参加チームも減っているようですが 小池 うちのチームは人が少なくて、なくなってしまう危機にありましたが、二重登録など他チームから選手を融通してもらって、何とか参加できるのはありがたいです。 石井 今、佐久市野沢に住んでいますが、ここでのプレーが楽しみ。自分はここでずっとやってきたので、ずっと続けていきたいです。 菊池 人が少ない中、メンバーには小諸や東御から駆けつけてくれる人もいます。中部横断自動車道が開通したので、だいぶ来やすくなったのでは。地元の子供にも野球に親しんでほしい。昨年からスポ少の低学年の指導に携わらせてもらっています。小2の娘もやっています。佐久穂の野球文化が途切れることなくつながって、このリーグがずっと続いていくことを望んでいます。 ■参加者プロフィール 土屋 潤さん(34歳) 佐久中央小・佐久中 小池 良さん(39歳) 佐久中央小・佐久中 石井裕太さん(34歳) 佐久中央小・佐久中 小清水将志さん(26歳) 八千穂小・八千穂中 菊池俊文さん(35歳) 佐久中央小・佐久中 小林裕太さん(23歳) 佐久中央小・佐久中 関龍一郎さん(42歳) 神奈川県出身 須田隆太さん(24歳) 八千穂小・八千穂中 ※年齢、肩書等は発行時のものです。 佐久穂町早起き野球連盟CM (関 龍一郎さん制作)
- われら、さくほ人〈第2号〉 | koumi-sakuho
われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 瓦職人とプロスノーボーダー 二つの顔 第2号(2018年12月発行) 瓦職人・プロスノーボーダー 小池 学さん [佐久西小・佐久中卒 37歳] 佐久穂発、プロスノーボーダー 佐久穂町で、人生を最高に楽しんでいる人がいる。 小池学さんは2つの顔を持つ。瓦職人の顔と、プロスノーボーダーの顔だ。春から秋は、家業の「小池瓦工業」で汗を流し、冬季はフリースタイルのプロスノーボーダーとして、冬の山で輝きを放つ。家業が冬場に仕事が少なくなることもあるが、家族の理解があってこそ続けられるライフスタイルだ。 小池さんが、スノーボードにのめり込んだのは19歳の時。偶然目にしたニュージーランドへの語学とスノーボードの留学プログラムのポスターがきっかけだった。スノボ好きが集まる中で、「自分が一番うまかった。イケるんじゃないかって。それで調子に乗っちゃって」 帰国後も八千穂高原スキー場や軽井沢、小海などでスノーボードは続けていたが、当時、佐久地域でプロスノーボーダーの存在はなく、どうしたらいいか分からない日々が続いた。転機になったのは25歳の時。プロとしてやっていくなら、他へ行ったほうがいい、と勧められた。ニュージーランドで会った友人と一緒に白馬を拠点にプロを目指す中で、その後、スポンサードしてくれるメーカーなども付いてくれた。 プロを目指した動機はいたってシンプル。プロスノーボーダーとして有名になりたかったから。その目的を達し、プロスノーボーダー小池学として、自らの滑りをDVDにして販売したり、雑誌やメーカーのカタログ作成にも登場する。 瓦職人の未来を切り拓く 自分のやりたいことをやらせてくれている両親に感謝したい。そんな恩返しの気持ちもあって瓦の仕事にかける思いは熱い。若いころは、恥ずかしいわけではないが、プロスノーボーダーとしてのプライドがあってか、瓦職人であることはあえて公表していなかったという。今は、瓦職人としてのプライドを持ち合わせ、やりがいを感じている。手は抜かない仕事に自信を持つ。自分が手掛けた瓦屋根の家が増えていくことが何よりうれしい。道のりは、まだはっきりと見えていないが、日本では西洋建築などに押されて瓦を使う住宅が減っているが、逆に海外で瓦の仕事をしてみたい。父を超えるためにも、瓦の新しい可能性をみつけて、この業界をしっかり守っていきたい。そんな瓦職人としての未来も描いている。 両方100%で 今の生活スタイルを続けられる佐久穂町が好きだ。そんな中、昨年から八千穂高原スキー場においてプロデュース、コーチングなどで関わり始めた。地元の八千穂高原スキー場をスノーボードのメッカにしたい。ここからオリンピック選手を出したい-など、夢も膨らむ。かつては自分のことだけだったが、ここ2年は、考え方も変わってきたという。 スノーボードをやり始めた時の目標として、一生やり続けたいという思いがあった。それを実現できる環境がある。それは幸せなこと。 プロスノーボーダーとして、瓦職人として、両方とも100%が、小池さんの流儀。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
- われら、さくほ人〈第8号〉 | koumi-sakuho
われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 山を次世代に繋げるのが使命 第8号(2020年12月発行) 有限会社 カネホ木材 星野 大揮さん [佐久中央小・佐久中卒 34歳] 佐久穂の山の恵み 山が人々の暮らしに与える恩恵は計り知れない。その山や自然を守るためには、人が正しく手入れする必要がある。カラマツの産地である南佐久の中でも、佐久穂町は他町村をしのぐ約4500haの町有林を保有している。戦後に拡大造林されたカラマツは、今、一斉に伐採期を迎えている。その中から木材の生産に適した約1000haを選び、年間約20haずつ伐採、植林し、町の財産である山と森を未来に残していくための整備計画が進行中だ。 「約6〜7haの区画ごとに伐採し、そこに約1万5000本の苗木を植えるという作業を、毎年受託しています」と、カネホ木材3代目の星野大揮さん。以前はあまり需要がなかったカラマツだが、ここ数年は針葉樹合板・集成材としての需要が増えた。製材・土木用材としても東信地域のカラマツは強度があって質がいいと評判だ。 地場産業の後継ぎとして 林業は危険な面もある仕事。後を継いでほしいと言われたことはないという大揮さんだが、11年前、父で社長の勝好さんが60歳を迎えたのを機に佐久穂町にUターンした。それまでは大学も就職も水産関係に進んでいた。水産とは真逆とも思える林業への転職に抵抗はなかったのだろうか。「兄弟は姉と自分だけなのでゆくゆくは継ぐつもりでいましたし、山も川も海も繋がっているからいいんです(笑)。地元の自然を守る産業に使命感もありました。一度外に出たからこそ佐久穂町の良さがわかります。山々に囲まれた景色を眺めながらの作業も好きです」。 林業の現場は、地形も木の伸び方も毎回異なる。基本はあるがマニュアルはない世界なので、技術を教えてもらうことは難しかった。先輩の職人さんや父の姿を見て自ら学び、必要な資格も取得。重機が通るための道をどこにどう引くか、どこから木を切り出していくかといった、〝山の勘〞がつくまで5年以上かかった。そんな大揮さんの仕事ぶりを見て、「町にとって大切な仕事を丁寧にきれいにやってくれて信頼できる」と佐久穂町役場林務係の担当者も太鼓判を押す。 林業の未来のために 祖父の世代が植え、親世代が育てたものを子が使うというのがカラマツのサイクル。「自分は今、先人が植えてくれた木を受け継いで使わせてもらっています。だからこそ自分も次の世代に繋いでいかねばなりません」。担い手の育成は重要だ。そこで町内の林業者と協力して、佐久穂小・中学校の4〜8年生に林業の魅力を伝えるため「さくほ森の子育成クラブ」を立ち上げた。 「自分も幼い頃に山に連れて行ってもらい、機械に触れてあこがれたものです。機械化が進んだことで危険な作業も減り、女性オペレーターや若い職人も増えていますが、山奥の作業なので目に触れる機会が少なく、まだまだ一般に身近とは言い難い職種です。子どもたちにとって、格好いい憧れの仕事になれば嬉しいです」。3児の父の柔らかな笑顔には山の男というイメージはない。子どもたちだけでなく、皆が持つ林業のイメージまで変えてしまいそうな大揮さんだ。 「さくほ森の子育成クラブ」とは 森を知り、森を愛そう 佐久穂町の誇れるものって何でしょう。佐久穂町にとってかけがえのないものって何でしょう。後世に残しておきたいものって何でしょう。そのどれにも当てはまるのが、佐久穂町の大きな財産、〝森林〞です。何といっても、佐久穂町の8割を占めているのが森林なのです。 森林は、私たちに大きな恩恵をもたらせてくれます。この森林を守っていくことはとても大事なことなのですが、まず、私たちは森林のことを理解しなくてはなりません。そのために、子どもの時から森林に触れ、身近に感じる機会が必要です。そこで平成26年に設立したのが町内の林業事業体を中心に産・学・官で構成する「さくほ森の子育成クラブ」です。 佐久穂小・中学校の4年生から8年生(中学2年)を対象に、森林林業に特化したキャリア教育事業を行っています。佐久穂町の森林林業について、各学年の発達段階に応じた学習や体験を提供し、将来一人でも多くの子どもたちに佐久穂町に残ってもらい、町の森林林業を担う後継者を育成することを目的としています。 4年生はきのこの駒打ち体験と「森林の働きと水」の観点から学習、兜岩湧水の見学を行います。5年生では伐倒作業の見学、高性能林業機械試乗体験やチェーンソー、手のこぎり体験、6年生ではカラマツ、白樺の植栽体験、7年生では森が生まれるところから木が育ち伐採された木材が製品になって使われるところまで見学しながら学習、8年生では総まとめとして、さくほ森の子育成クラブの各事業体で就業体験(インターシップ)を行うなど幅広いカリキュラムでキャリア教育を行っています。 南佐久北部森林組合参事の島﨑和友さんより (八千穂北小・八千穂中卒 60歳) 南佐久北部森林組合参事の島﨑和友さんは、「森の子育成クラブを立ち上げたのは小中一貫校が開校する前年の平成26年でした。教育委員会や先生方、佐久地域振興局林務課や佐久穂町の林務係と協議を重ね、提供できるプログラムを先生方に体験していただくなど試行錯誤を繰り返しながら具現化してきました。 教材である森林について伝えたいことは教室では子どもたちに伝わりません。実際に森林に行って五感を使って感じ、興味を持ってもらい、自ら学習して欲しいと思っています。森林の中には教室では見つからない「なぞ」や「感動」がたくさん潜んでいます。私たちが生きていくために必要な空気や水、食料が森林と大きく関わっていることを理解してもらいたい。そして自分が育ったふるさとを誇れる人になってください」、と話してくれました。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
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- さくほ人座談会〈第8号〉 | koumi-sakuho
コロナを吹き飛ばす「花さく太鼓」の響き 第8号(2020年12月発行) ~花さく太鼓とは~ 平成8年発足、24年の歴史を持つ和太鼓サークル。メンバーは30代から50代の男女10名。 地域のお祭りや南佐久郡内の演奏大会などにも出演し、企業などからの依頼があれば、駆け付ける。見てくれる人、聴いてくれる人たちが元気になれるような演奏がモットー。 新型コロナウイルスの影響もあり、地域のお祭りをはじめイベントなどが軒並み中止に。それ に伴い、3月から活動を休止していました。ようやく9月に活動を再開し、練習場となる茂来館 に力強い音が響き始めました。聴いた人を元気にさせる和太鼓の音で、またその迫力ある音で、「コロナ退散を」と腕を撫(ぶ)しています。 今回はメンバーのうち4人に集まってもらい、花さく太鼓の魅力についてうかがいました。 Q:花さく太鼓に入ったきっかけは 伴野晴孔さん(以下伴野) お祭りなどで見ていてかっこいいなと思って、小学校5年の時に入りました。11歳で入ってからずっと続けていて20年になります。 高見澤命さん(以下高見澤) 小学校の音楽祭で太鼓を叩いたんですが、音楽祭が終わった後に花さく太鼓があることを知って、練習に行ったことがきっかけで入ることになりました。伴野さんの少し後に入ったので私も20年です。 木島理恵さん(以下木島) もともと興味はありましたが、同僚に誘われたのがきっかけです。13〜14年になります。 星野成美さん(以下星野) 同じ職場で働いていた木島さんに誘われました。高校生の時、文化祭の出し物で和太鼓をやったことがあり、興味はありましたが、木島さんからは「おいで、おいで」と誘ってもらったのがきっかけです。 Q:和太鼓の魅力は 伴野 和太鼓はただ音を出すだけではなく、身振り手振り、ばちさばきなどパフォーマンスの部分も多彩で、全部がかっこいいのが魅力です。いかにかっこよく打つかも大事で、そこが難しさでもあります。 星野 とにかくあの音に魅かれます。惹き付けるというか、日本人の心に響く音ですね。 Q:花さく太鼓らしさは 伴野 明るさと元気です。メンバー同士がとても仲が良く、そういったチームワークの良さや明るさが演奏に出ていると思います。ほぼ年メンバーが変わっていないので、ある意味では完成されているのですが、それが(新しいメンバーが)入りにくい面でもあるのかもしれません。 星野 見ている人も楽しめるようにと心掛けています。私は真顔で叩いたことってないですね。ずっと笑顔でやっていると思います。だって楽しいから。 高見澤 見ている人はもちろんですが、叩いている自分が楽しくなるのが私たちの和太鼓です。 Q:花さく太鼓をやっていて良かったと思うことは 伴野 見に来てくれたお客さんが、自分たちの顔を覚えてくれているんです。「太鼓やってた人だよね」って声を掛けてもらったり、地域とつながっている実感があります。祭りなどで演奏が終わった後に、「良かったよ」とか「元気になれていいよね」などと言ってもらえるのが、何よりうれしいですね。交流の幅が広がった感じがします。 高見澤 私も地域とのつながりができることですね。企業の催しなどに呼ばれて叩くこともあり、喜んでもらえると地域とのつながりや地域に貢献できたことを実感します。 星野 私は根っからのお祭り好きで、お祭りは「見る」よりも「やる派」。見ているだけじゃつまらないし、自分でやりたいタイプ。だから、太鼓をやっていてよかったです。途中、子どもを産んで抜けていた時期もありましたが、その間も早く戻りたい気持ちでいっぱいでした。 木島 運動不足解消にもなるしね(笑)。 Q:新型コロナウイルスの影響で活動できない期間び心境は 木島 3月の南佐久の合同演奏会が一週間前に中止になってしまったり、お祭りがなかったのでさびしかったです。やっているからにはやはり発表の場がほしいですね。 Q:演奏を披露する機会があれば、どんなところを見てほしいですか 伴野 最近は暗いニュースしかないので、演奏を見てもらって、前向きな気持ちになってもらえたらうれしいですね。 木島 佐久穂町は昨年の台風19号で大きな被害を受けましたが、花さく太鼓の元気な音で、佐久穂町は元気だぞ、と発信できたらいいなと思っています。早く叩く機会ができればいいですね。 高見澤 二人が言ってくれたように、元気にやっている人たちがいるなっていうのを見せることができたらいいですね。 Q:これからの花さく太鼓をどうしていきたいですか 伴野 実はあまり知られていないというか、うちの町に〝太鼓〞があったことを知らない人もいるようなので。地元の人に知ってもらって「花さく太鼓っていいよね」って言ってもらいたいですね。 まだ未定ですが、また、南佐久郡の合同演奏会ができたらいいなと思っています。その間にレパートリーを増やしてスキルアップもしたいです。そういう意味では、新たに入りたいと思う方には、いいタイミングです。見るのはいいけど自分がやるのは恥ずかしいという声を聞きます。やってみれば本当に面白いので、興味のある方はぜひ一緒にやりましょう。メンバー募集中です。 星野 一緒にやってくれる人を増やしたいです。私たち親世代にどんどん参加してほしい。子どもにやらせたいという声はよく聞くのですが、まずお父さん、お母さんにもやってほしいです。それをきっかけに子どもにも興味を持ってもらえたらを思っています。 星野 私は根っからのお祭り好きで、お祭りは「見る」よりも「やる派」。見ているだけじゃつまらないし、自分でやりたいタイプ。だから、太鼓をやっていてよかったです。途中、子どもを産んで抜けていた時期もありましたが、その間も早く戻りたい気持ちでいっぱいでした。 Q:今後花さく太鼓とどう関わっていきますか 星野 生涯現役。そのうち自分の子どもと一緒にやりたいですね。 高見澤 叩けなくなるまでやりたいと思っています。 ■参加者プロフィール 伴野 晴孔さん(31歳)佐久西小・佐久中卒 高見澤 命さん(31歳)佐久西小・佐久中卒 木島 理恵さん(41歳)佐久中央小・佐久中卒 星野 成美さん(33歳)八千穂小・八千穂中卒 ※年齢、肩書等は発行時のものです。 花咲く太鼓演奏視聴 『祭り囃子♪ 』(YouTube動画) 花咲く太鼓演奏視聴 『晴天♪ 』(YouTube動画) 茂来館での「祭り囃子」演奏の様子。 お祭りやイベント等、地域の様々な行事で威勢の良い演奏を披露。写真は平成30年11月に開催された大日向地区のイベントの様子。
