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- さくほ通信web版の記事 | koumi-sakuho
さくほ通信web 版の記事 このマチのひとびと このマチは自然が素晴らしい。 山も川も空も。 誇れるものがいっぱいだ。 それに負けず劣らず誇らしいのは、ここに住む人々。 あんな人、こんな人、輝いている人がいっぱいだ。 さくほ人座談会 スポーツ、お祭り、音楽etc. 趣味に集い、マチを愛する若者達が思いを語る! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載したコラムの再掲で、年齢等は掲載時のままです。 和太鼓の音で聴いてくれる人を元気にしたい (さくほ通信8号 2020年12月発行) 20歳になる同郷の友へ、エールを (さくほ通信7号 2020年7月発行) 少しでも地域の力に (さくほ通信6号 2019年12月発行) 俺たちの野球愛は、永遠だ (さくほ通信5号 2019年7月発行) 名誉とプライドをかけて戦う (さくほ通信4号 2018年12月発行) さくほの夏が待っている (さくほ通信3号 2018年7月発行) さくほ子育てママたちの、ランチ同窓会 (さくほ通信2号 2017年12月 発行) おらほのさくほを語ろう。 30歳の座談会 (さくほ通信1号 2017年7月発行) われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この取材は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載したコラムの再掲で、年齢等は掲載時のままです。 山を次世代につなげるのが使命 (さくほ通信8号 2020年12月発行) 診療所の医師として日々奮闘中 (さくほ通信8号 2020年7月発行) さくほで学び・育ち、さくほを出て、再びさくほに戻ってきた (さくほ通信6号 2019年12月発行) 日本で唯一のシューツリー職人。佐久穂から全国へ、世界へ (さくほ通信5号 2019年7月発行) 佐久穂の新しい花卉文化をつくる (さくほ通信3号 2018年7月発行) 仕事に、子育てに、ここ(佐久穂)だからいい (さくほ通信4号 2018年12月発行) 瓦職人とスノーボーダー 2つの顔 (さくほ通信2号 2017年12月発行) 酪農と獣医師を両立する (さくほ通信1号 2017年7月発行) 新たなパン屋さんが2店舗も誕生!!(さくほ通信9号2021年12月発行) 2021年、佐久穂町内に、新たなパン屋さんが立て続けに2店舗もオープン。佐久穂町で暮らす幸福度を間違いなく一段引き揚げてくれるであろう新たなパン屋さん、「パン工房エピローグ」の小林夫妻と、「タミーベーカリー」の木田拓也さんに、それぞれの開店経緯や、どんなお店にしたいkなど、お話を聞かせていただきました。お二組の思いを知れば、美味しいパンが更に風味豊かになること間違いなし。それでは、以下インタビュー、美味しく召し上がっていただけますように。 「パン工房エピローグ」小林夫妻 「タミーべーカリー」木田夫妻
- エピローグ〈第9号〉 | koumi-sakuho
「パン工房エピローグ」 小林夫妻 第9号(2021年12月発行) ー開店経緯を教えてください (小林高行さん、以下高行さん)出身は佐久穂町なんですが、もともと東京で12年程パン屋で働いていて、いつかは自分のお店をやってみたいと思っていました。そんなある日、知人から「佐久穂町でパン屋を開かないか?」との誘いがあり、佐久穂町へUターン。ところが、実際に帰ってきてみたら、その話しは立ち消えになってしまって、他の仕事につくこに。そのまま月日が流れ、パン屋を開くことは半ば諦めていたんです。が、妻が是が非でもやりたいと。 (小林浩美さん、以下浩美さん)夫とは、中学からの付き合いで。彼は覚えていないかもしれないですけど、「将来は帝国ホテルでパンを焼くんだ!」と語ってたんですよね。そんな彼の夢を聞いて「あぁ自分もいつかパン屋さんの店頭に立ちたい!」と思うようになりまして。周囲にも「いつかパン屋さん開くからね!」と言い続け、周りからも「パン屋さんいつ開くの⁉」と聞かれるような状況を作って、パン屋を開かざるを得ないような環境を積み上げ、夫のお尻に火をつけていったんです。そんな中で、子育ても一段落して、続けてきた保育園の仕事も終わりが見える中で、このタイミングしかない!と思い切って開店するに至りました。 (高行さん)まさかこの年になって、かつての夢が叶うとは。人生本当に分からないものですね。自分たちの人生の終盤にこのようなお店を開かせてもらえること、そしてパンの主素材である「小麦=エピ」から言葉をいただき、「エピローグ」という店名ではじめることにしました。 ー開店して2か月が経ちますがやってみていかがですか (高行さん)いやもう正直「大変」の一言ですね。開店時間にパンを焼き上げるためには、午前2時には仕込み始めなければならず。また2時に起きるためには、夜7時には寝ないといけない。そうなると、大好きなお酒もあまり飲めずで……、もうなんだかなと思ったりもします(笑)。でも、パンを焼きながら厨房からお店の様子を見ていると、本当にたくさんの人が来てくれて。そして、本当にいい笑顔でパンを買ってくれる。また、買っていただいた方が口々に「パン屋を開いてくれてありがとう!美味しい!」と言ってくれる。うま く言えないですが、あぁお店を開いて本当によかったなと、じんわりと感じています。 (浩美さん) パンの良い香りに包まれながら、お客様の笑顔を見ることができる、皆さまからも、たくさんの感謝の言葉をいただける。本当に幸せな時間を過ごすことができています。こんな素晴らしい夢を叶えてくれた夫に対して、ただただ感謝の気持ちしかありません。もちろん、お店をやることは大変な面も多々ありますが、想像以上に夫が手際よく働く姿に、良い意味で驚いたりもしてまして。あーただの吞兵衛じゃなかったんだな、と(笑)。 (高行さん)パン屋を開いてなかったら、自分はお荷物扱いされてたかもしれません(笑)。そういう意味でも、自分が活躍できるパン屋という場を作ってくれた妻には感謝しないといけないですね。 ーお店の特徴や、今後どんなお店にしていきたいかを教えてください (高行さん)皆さまには、なるべく体に良いものをお届けしたく、できるかぎり素材は無添加のものを選んでまして。ジャムやクリームなども市販のものではなく、妻が手作りしたものを使っています。またできる限り地物の素材を使うことで、地域の恵みを無理なく循環させていくようなことができれば嬉しいですね。白樺の樹液を使った食パンなどは、エピローグでしか買えない逸品、ぜひお試しいただければと思います。開店して2か月が経ち、少しリズムも作れてきたので、色々と焼いてみたいと思っているパンにも、順次チャレンジをしていきたいと思っています。 (浩美さん)とにかくお世話になっている地元の皆様に、「美味しい!」の笑顔を届け続けられるよう、細く、長く、やっていけたらと思っています。なにぶん初老の二人が体に鞭を打ちつつやってるお店なので、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、温 かく見守っていただければ。あとは、「 60歳を迎えた自分達でも人生の最終章でこんな夢を叶えられた」という事例を通じて、周りの皆さまが、何か一歩踏み出してみるきっかけになれたら嬉しいですね。素晴らしい手仕事をされている友人が何人もいるので、そのような 仲間の作品を、お店で販売していくようなこともできたらなと思っています。 ー18歳の皆様に一言メッセージをお願いします (高行さん)紆余曲折ありながら、気が付けばパン屋をやるに至っていました。パン屋さんで働いていた時のスキルがベースになってはいますが、それ以外の仕事も含めた経験があってこその今だなと痛感しています。皆さんが大人になり、働く時には、やりたいことも あれば、やりたくないこともあるかもしれません。でも、ひとつひとつに必ず意味がある。どんな環境でも腐ることなく、その時々のお仕事を良い経験として楽しんでもらえたらと思います。 (浩美さん)60歳というこのタイミングで夢が叶ったのは、2つあると思っています。ひとつが「パン屋になりたい!」と言い続けたこと。ひとつは、袖触れ合うも何かの縁という言葉がありますが、人との出会いを大切にしてきたこと。言葉に出すことで自分がやりたいこ とが明確になり、ご縁があった方々にその思いを伝えることで助けも得られる。結果的に自分自身の道が開けてくるんだと思います。夢というと大げさかもしれませんが、やってみたいことがあれば、皆さんもぜひ臆することなく、周りの方に言葉に出して伝えてみて 欲しいと思いますし、エピローグはそんな皆さんの「やりたい」を応援していければと思います。 タミーベーカリー 【住所】佐久穂町穂積1431-1【電話】0267-78-3279 【営業】午前11 時~午後5時(なくなりしだい閉店) 【定休】日・木・祝日 【駐車場】2 台 【instagram】https://www.instagram.com/tummy_bakery/ 取材・テキスト 豊田陽介(東町) カレー屋ヒゲめがね @higemeganecurry
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こうみ・さくほ通信 「さくほ通信」は、「こうみ・さくほ通信」に生まれ変わりました。 住んでいる人も住んでいない人も、こうみ・さくほ通信を楽しみたい人に。 山菜採り 川遊び スケート 山菜採り 1/4 News (新着情報) 2025年8月8日 こうみ・さくほ通信 第3号が発行されました 紙面はこちらから→「タブロイド版 こうみ・さくほ通信」 タブロイド版 こうみ・さくほ通信 「これまで「さくほ通信」として14号まで発行してきた地元情報誌が、今年から小海町と佐久穂町の情報を発信する『こうみ・さくほ通信』にパワーアップ! to タブロイド版 「こうみ・さくほ通信note」は長野県東部の佐久穂町で起きている出来事を魅力的に発信したい人たちのグループとして始まった「さくほ通信club」を発展させ、2024年からスタートしました。両町の魅力やそれを楽しむイベントを開催しnoteにて様子をお届けしています。 to note STARS まちの仕事、未来への星図 STARSは、小海町・佐久穂町で、夜空で輝く星のように、 まちで輝く企業や、働く人々のお話を聞くインタビューページです。 星空を見るように、ちょっと立ち止まって話を聞いてみてください。 まちの仕事を知ることで、自分の居場所や、未来への道筋が、 少しだけわかるかもしれません。 to STARS 人材採用 の5つのステップを知ろう 人を採用するために押さえておきたいステップ (地方中小企業の成功事例付き) 内容はこちら 地域で働く ガイドブック 実例 地方で幸せに働くための準備とコツを紹介! 内容はこちら 人材募集をしたけれど良い人が来てくれない、そもそも応募がない、そんなお悩みがありませんか? 良い採用をするためには、ただやみくもに募集をするのではなくあなたの会社に合った人材戦略を考えて実行する必要があります。 その方法を5つのステップでご紹介します。 「こんな町に暮らしてみたい」「ここで人生を過ごしていきたい」̶̶そんな夢があっても、「仕事はあるの?」「どうやって食べていくの?」という壁があってためらっている、そんな人のためにこの冊子をつくりました。たくさんの実例や考え方のヒントを見て、少しでも「前に進めそう」と思っていただけたら幸いです。(本文より) 佐久穂町と小海町による地域活性化のための同盟に関する協定 小海町と佐久穂町では「佐久穂町と小海町による地域活性化のための同盟に関する協定」を令和2年4月10日に締結し、以降協定に基づいた各種連携事業に取り組んでいます。 地理や風土が共通する両町では、今まで住民や事業所による数多くの交流があり、行政も観光や移住促進等で協力を進めてきました。 現在、両町では人口減少や高齢化の加速、災害の激甚化、保健衛生上の事態など町域を越えて対処すべき課題が急増しています。 本協定では、隣接する両町が従来からの協力関係を発展させ、それぞれの独自性を尊重しつつ、連携と交流、相互補完の拡大と充実を図り、地域活性化と住民福祉の増進を目的としています。(協定書第1条)
- タミーベーカリー〈第9号〉 | koumi-sakuho
「タミーベーカリー」 木田 拓也さん 第9号(2021年12月発行) ー開店経緯を教えてください (木田拓也さん、以下、木田さん)大日向小学校に子どもを通わせるご縁で令和2年4月に家族5人で佐久市に移住(令和3年の春に佐久穂町に移りました)。直後にコロナが直撃し、生活が一変したこともあり、「自分たちはどうありたいのか」生き方を根本から見つめなおすようになりました。 そんな時に浮かんできたのが美容室を営んでいた母親の姿でした。残念ながら2年前に亡くなってしまったのですが、葬儀の時に多くの方から声をかけていただいて。「あぁ、本当に地元の皆様に愛されていた店だったんだな」と胸が熱くなるものがありました。同時に、自分も母のように、身近で顔が見える方々に何かしらの貢献ができるような手触り感のある仕事がしたいと思うように。 では自分は何がしたいのか。我が家は、三度の飯がパンでも大丈夫なぐらい、みんなパンが大好き。当時は佐久穂町にパンのお店が無かったこともあり、大好きなパンを通じて町の皆さまのお役にたてたら最高だな、と。そんな自分の気持ちに気付いたら、もう居ても立っても居られず、通信教育でパン作りの基礎を学び、開業支援もしてくれるパン屋さんでの修行を経て、令和3年9月、ご縁をいただいた八千穂駅前の素敵な物件で「タミーベーカリー」をオープンするに至りました。 「タミーベーカリー」という名前は、私の母も妻の母も、偶然にも「タミコ」という名前で、その名前にあやかりました。また、英語の「tummy」は、日本語で子どもが言う「ぽんぽん」に当たり、「お腹」という意味があります。「パンでお腹が満たされて、自然と笑顔があふれでる」、そんな柔らかく暖かい情景が浮かぶようなパン屋にしたいと思い、この名前に決めました。ちなみに、八千穂駅の前ではじめるベーカリーなので「八兵衛」という店名候補もあったのは、ここだけの秘密です(笑)。 ー開店して2か月が経ちますがやってみていかがですか (木田さん)とにかくアッという前に1か月が経ちました。慣れない立ち仕事が続くのもあって、開店直後は、夜寝ている時に両足のふくらはぎ・もも・すねの6か所が同時にツルという恐ろしい体験もしましたが、これもなかなか得難い良い思い出です( 笑)。と、大変なことは、もちろんありますが、開店して本当にありがたいなと思うのは、地元の方が想像していたよりも遥かに多くお店に来てくれていること。ご縁をいただいた佐久穂町の一員として、皆さまにパンを通じて笑顔をお届けしたいと思って始めたこともあり、地元の方が喜んでくれる姿を見られるのが、何よりも嬉しいですね。 また接客していて心温まることの1 つに「ご近所さんにおすそ分けしたいから別で包んでくれるかい?」という方が、本当に多くいらっしゃること。ご近所の方々を気にかけ合う関係性がある町ってとても素敵だなと思いますし、そのようなやり取りに「タミーベーカリー」が一役買えていると思うと、お店を開いて本当に良かったなとつくづく思います。 ―お店で大事にしていることを教えてください (木田さん)アメリカで仕事をしていたときに同僚がよく言っていた「ファミリー イズ ファースト」という考え方が好きで、大事にしています。これには2つの意味があります。 1 つは「自分の家族」をまずもって大事にするということ。家族が元気で笑顔でいてくれるからこそ、自分は安心して美味しいパン作りに専念ができる。そういった気持ちの安定が、パンの質やお店の雰囲気にも出ると思っています。お客様に笑顔をお届けするお店 であるためにも、まずは自分も含め、家族が健やかでいられることを大事にしていきたいと思っています。 もう1 つは、この地域の皆さまを、広い意味での「ファミリー」として大事にしていきたい。北海道産100%の小麦や無添加生地など、安全安心な原料を使った美味しいパンをお届けするのは大前提に、皆さまにどうしたら喜んでもらえるかを常に考えています。例えば、20種類程度のパンを常時品揃えるすることで、選ぶ楽しさをお届けしたり。例えば、八千穂漁業さんの信州サーモンや、山本屋糀店さんのお味噌、レティーファームさんのミント等々、なるべく地元の食材を使うことで、少しでも地域資源の循環に一役買えたらと思っていたり。例えば、お店を借り受けて改装をする際に、皆さんにとって馴染み深い八千穂駅前の素晴らしい景観を損なうことのないような意匠を心がけてみたり。 まだまだ駆け出しのパン屋ではありますが、地域の一員として、皆さまと長いお付き合いができるお店になれるよう、これからも試行錯誤を繰り返しなら、頑張っていきたいと思います。 ―18歳の皆さまに一言メッセージをお願いします (木田さん)20年の飲食店での経験はありましたが、パン屋さんは全くの未経験でした。それでもやろうと思えたのは、「自分の能力は未来進行形で考える」という稲盛和夫さんの言葉と出会えたから。「『今、できるかどうか』で考えるな。例え今できなくとも、未来でできるようになっていれば良いだけ」という考え方。この考え方があったからこそ、パン屋がやりたいという信念だけで、ここまで突っ走れたんだと思います。 「何ができるか?」という問いかけは、どうしても「過去」に経験した枠の中でしか思考が働きません。でも「何をやってみたいか?」という問いかけは、思考が「未来」に向く。未来に向いて思考するからこそ、道が開けるということが多々あります。 18歳と言えば人生の1 つの岐路に立つタイミング、色々と思い悩む時かもしれません。そんな時こそ、ぜひ「何ができるか」から考えるのではなく「何をやってみたいか」という未来思考で、考えてみてもらえたらと思います。 とは言え「やりたいことが思い浮かばない」という方もいらっしゃると思います。そんな時は、「人生の目標」のような「大きな答え」をいきなり見つけようとせず、「ふと頭に浮かぶ、小さな『やってみたいこと』」を大事に、まずは経験してみましょう。その小さな一歩を繰り返していくうちに、皆さんならではの「やりたいこと」が、いつか見えてくるようになると思います。 タミーベーカリー 【住所】佐久穂町穂積1431-1【電話】0267-78-3279 【営業】午前11 時~午後5時(なくなりしだい閉店) 【定休】日・木・祝日 【駐車場】2 台 【instagram】https://www.instagram.com/tummy_bakery/ 取材・テキスト 豊田陽介(東町) カレー屋ヒゲめがね @higemeganecurry
- われら、さくほ人〈第1号〉 | koumi-sakuho
われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 酪農と獣医師を両立する 第1号(2017年7月発行) 酪農家・獣医師 笹崎真史さん 〔八千穂小・八千穂中卒 29歳] 納得のいく働き方は自分でみつける 笹崎さんは、酪農家であり、獣医師である。ジャージー牛など100頭を飼育する実家の牧場を継ぎ、佐久地域の牧場で飼育される牛の獣医師として地域を飛び回る。酪農と獣医師、この2つを両立しているのは全国的にも珍しいが、実は父親の善治さんがずっと歩んできた道。笹崎さんにとって、同じ働き方を選ぶことはとても自然だったという。 北海道の大学で獣医学を学び、2年間獣医師として働いた後、27歳のときに佐久穂町に戻ってきた。「自分が年を重ねた時、どんなふうに暮らしているのか想像してみたんです。地元を離れた土地で組織の中で雇われて働くのか。それよりも、親やこれから築く家族がそばにいる環境で、納得のいくは働き方を自分で見つけたいと思った」そんな考えが、佐久穂町へ戻ってくることを決意させた。 2つの専門性を武器に 獣医師の資格を持っていることで、飼育する牛の不調に早く対処できるのはもちろん、人工授精などの繁殖についてもより主体的に働くことができる。地元だからこそ、働き方を模索する余裕も持つことができた。 一方で、牛の獣医師にはシビアな面も。「ペットであれば、少しでも長く生かすことが目的ですが、酪農は違います。病気を治しても出荷できる乳が出なくなれば、生かし続けることはできない。獣医師に求められるのは、経済性の復活です」と笹崎さん。 酪農家も獣医師も不足している今、2つの専門性を身に付けた者としてできることは何か。「相手にしているのは生き物。いつ何があるか分からない。24時間いつでも駆け付けられる獣医師としても、経済を支える酪農家としても、この地域でしっかりやっていきたいですね」(笹崎さん) ※年齢、肩書等は発行時のものです。
- タブロイド版 こうみ・さくほ通信 | koumi-sakuho
タブロイド版 こうみ・さくほ通信 《こうみ・さくほ通信3号発行》 「こうみ・さくほ通信3号」が発行されました。今回は小海町にあるミステリアスなアート作品や、″ちょうどいいコミュニティ”にまつわる座談会を取り上げます。 どうぞお楽しみにご覧ください! 《こうみ・さくほ通信2号発行》 「こうみ・さくほ通信2号」が発行されました。『冬を愛する偏愛人』と称して、この地で冬を楽しんでいる方たちの座談会や<道の駅>のレンタルサイクル(e-bike) で両町内を巡った「食べ歩きツアー」など、2号も楽しい内容です。 どうぞお楽しみにご覧ください! 《こうみ・さくほ通信1 号発行》 これまで「さくほ通信」として14号まで発行してきた地元情報誌が、今年から小海町と佐久穂町の情報を発信する『こうみ・さくほ通信』にパワーアップし、8月に第1号が発行されました。両町で行われた祇園祭の様子、また両町の女性4名による座談会も楽しい内容です。どうぞお楽しみにご覧ください! 《さくほ通信バックナンバー》 To play, press and hold the enter key. To stop, release the enter key.
- われら、さくほ人〈第3号〉 | koumi-sakuho
われらさくほ人 この地に生まれ、プロとしてこの地で輝く者達の深掘りストーリー! ※この座談会は、さくほ通信1号(2017年)から8号(2020年)の紙面に掲載した内容の再掲で、年齢等は掲載時のままです。 佐久穂の新しい花卉文化をつくる 第3号(2018年7月発行) 花卉農家 中島和輝さん [佐久中央小・佐久中卒 32歳] フラワーデザインを学び、栽培へ 花の色や形が多彩なトルコギキョウは、佐久穂町を代表する特産品の一つ。この一つ一つの花に愛情を込めて育てている、花卉農家の中島和輝さん。生産者として自身に満ちた表情が印象的だ。仕事に誇りを持ち、取り組む姿は、実に格好いい。 しかし、そんな中島さんも最初からこの道を志していたわけではない。雑貨などのデザインに興味を持ち、悩んだ末に、家業との中間をとって、フラワーデザインの道を目指した。 「何よりいろんな業界を見てみたいと思ったんです」と中島さん。東京の専門学校でフラワーデザインを学んだが、入学当初は、クラスでも花のことを知らない方だったという。卒業後、実際に花屋で働く中で、生産物としての花にだんだんと興味は増していった。新宿や銀座などの花屋で働き、いろいろな情報があつまる場所、さまざまなニーズがある場所で、経験を積んだ。 花卉農家として自分のスタイルを 23歳の時に、家庭の事情で実家に戻ることになった。それは生産者としてスタートすることを意味していた。当時、中島家では、生産だけでなく、小売りやブーケづくりなども手掛けるようになっていた。そこに自分としての“色”を出すために、自分自身の屋号(店舗のない花屋)も持つことに決めた。「NOCE(ノーチェ)」と名付けた。「NOCE」は、イタリア語で「木の実」を意味する。 「成長する中で一つの成果が木の実として結実します。また、それは次に続く、種でもあります。マークは、シャムロックという洋菊を使っています。菊は一般的に縁起の悪いイメージですが、シャムロックは外国では祝い事に使われる花です。そういったとてもいい花にあやかって、既成概念をくつがえしていきたい、そんな思いを込めています」と中島さん。 帰郷後、間もなく家業を継いだ。それから数年、自分なりのスタイルを身に付けつつあるが、まだまだ学ぶことは多い。 「花は気が抜けない。自分の甘えがダイレクトに出てしまう。自分が集中できなかったときなど、モノが悪くなってしまいます。きちんと目をかけてやることが大事です。今は自分の生活の一部。ごはんを食べるのと一緒。休みでも畑に行かないと気が済まないです」と、花に愛情を注ぐ毎日が続いている。 現在は、フラワーアレンジメントも受注している。写真は「母の日」用のアレンジメント キク・カーネーションからトルコギキョウへ 一方で、“花業界”への危機感を持つ。昔は佐久町といえば、キクだった。中島家も祖父の代でキク、カーネーション、父の代でカーネーションとバラをメインに扱っていた。特にバラなどは外国産の輸入物に押され、トルコギキョウへと移ってきた。今はトルコギキョウがメインだが、中島さんは、露地の花木を始めたり、冬の品目も何かできないか模索している。 花を実際に消費者に届ける場面や、フラワーデザインに携わってきたからこそ、もっと何かできるのでは、というもどかしさがある。 「自分が花屋で学んだことを生産現場で活かしたい。いろんな場面を見て、知っているからこそできることもあるはず。生産においても、小売りにおいても、どうやって花を生活に組み込んでもらえるか、もっと身近な存在にしてもらうのが課題。花の魅力を発信していく場所をつくりたいですね」と意欲を見せる。 個人としてはもちろんだが、佐久穂町の花卉栽培の発展にも展望を持ち、「花卉農家で自分は一番の若手。自分ががんばることで、花卉農家を魅力的に思ってくれる人が増えたら。今後、つないで守っていくためにも、新規就農者を増やしたいですね」と力を込める。 新しい感性を持ち、新しい風を持ち込む中島さん。今後、新しい花卉栽培の文化をつくっていくかもしれない。 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
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STARSは、小海町・佐久穂町で、夜空で輝く星のように、 まちで輝く企業や、働く人々のお話を聞くインタビューページです。 星空を見るように、ちょっと立ち止まって話を聞いてみてください。 まちの仕事を知ることで、自分の居場所や、未来への道筋が、 少しだけわかるかもしれません。 ★ ここに暮らす幸せを感じられる家をつくる、そのために常に挑戦する会社でありたい。 >>> 株式会社トモノ メンバーが楽しく幸せな会社で日本の地方を元気に! >>> 株式会社Vitalize 長野県地域発元気づくり支援金活用事業 | 佐久穂町と小海町による地域活性化のための同盟事業
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★ ここに暮らす幸せを感じられる家をつくる、 そのために常に挑戦する会社でありたい 株式会社トモノ 株式会社トモノの本社は、長野県佐久穂町を東西に走る国道を脇道に入り、昔ながらの民家の間を通り抜けた先にあります。 社長の伴野健治さんが育った家をリフォームしたというこの事務所も出迎えてくれた伴野さんも、とてもおしゃれで都会的な雰囲気。そんな印象とは裏腹に、伴野さんは山々に囲まれた地元が大好きで、この町を出たいと思ったことはないそうです。地域のお客さんのために、この町にはなかったおしゃれな家をつくるトモノ。会社の成り立ちや組織の特徴、家づくりという仕事の喜びや大切にしていることについて、伴野さんと社員の渡邉千佳さんに聞きました。 自分たちが建てたい家を建てる会社にしよう 株式会社トモノのルーツは、1948年に創業した伴野鉄工という会社です。前社長の代まで建築用の鉄骨の製造を主としてきました。 住宅設計の事業は、伴野さんが経営を引き継いでから、奥様と二人三脚で立ち上げました。それから十数年経ち、今ではすっかり「トモノ=家づくりの会社」というイメージが定着しています。 会社の主軸を鉄工所から家づくりへと大きく転換したのはなぜだったのでしょうか。 「もともとおしゃれな建物が好きなんです。でも、鉄工所の仕事というのは工場をつくったり倉庫をつくったりで、あまり見た目にこだわるお客さんはいないんですよね。さみしいな、という気持ちがありました。 それと、自宅を建てようというときに色々な住宅会社さんを見て回ったんです。でもこの辺りでイメージに合う家をつくっている会社がなくて、それなら自分たちでつくっちゃおうかと。家をつくったことなんてなかったのですが、妻も設計やデザインを学んでハウスメーカーで働いていた経験があり、やってみようということになりました。それが会社として手掛けた住宅の1棟目です」(伴野さん) 住宅の事業を立ち上げて十数年、当初この地域にはなかったモダンでおしゃれな住宅も増えてきた。 自宅を建てるだけにとどまらず事業にしようと考えたのは、伴野さんのように「デザインにこだわった家をつくりたい」と考えるお客さんがきっといるはずだと確信があったからだそう。 しかし当初は、「鉄工所が家なんて作れるのか」と馬鹿にされたり、業者さんからはこれまでにないデザインに挑戦することに不満を言われたり、「住宅のトモノ」を受け入れてもらえるまでには時間がかかりました。最初の3年は年に1棟建てるくらいだったそうです。 転機になったのは、デザインだけでなく「性能の高い家」をつくっていこうと決めたことでした。 健康に良い高性能な住宅しか作らないと決めた 「最初に建てたご自宅は、満足のいくものになったんですか?」と聞くと、伴野さんは「実はとてつもなく寒いんですよ」と苦笑い。 今でこそ「高気密・高断熱」の暖かい家が注目されるようになってきましたが、伴野邸を建てた12年前はそうではありませんでした。伴野さんも、デザインにはこだわる一方で住宅の性能には意識が向いていなかったようです。 しかしある時、取引先の社長と住宅関連メーカーの高性能住宅担当の営業さんから「住宅をやるなら高気密・高断熱住宅をやりましょう」という話を聞かされた伴野さん。勉強会に参加したりするうちに、住宅の性能が住む人の健康に影響することなどを知るようになります。 その頃、先代である伴野さんのお父様が、お風呂場で倒れて意識が戻らないまま闘病中でした。急激な温度の変化で血圧が大きく上下し心筋梗塞や脳卒中などを引き起こす「ヒートショック」が原因だったようです。 「父親の経験があって、健康に良い高性能な住宅を作らなければいけない、お客さんにはそういう住宅に住んでもらわなきゃいけないと考えるようになりました。それからは高気密・高断熱の住宅しかやらないと決めたんです」(伴野さん) 決意を固めた伴野さんは、次に手掛ける住宅で国が始めたばかりの高性能住宅向けの補助金を獲得しました。 「今でこそゼロ・エネルギー住宅というのが普通になってきましたが、当時はまだ少なくて、長野県内でその補助金を取った3棟中の2棟がトモノで建築した家でした」(伴野さん) それをきっかけに広報や住宅見学会、家づくりの勉強会などに力を入れ、徐々にお客さんが増えていったそうです。 多くの女性社員が活躍する職場 今では、長野県の東信エリアを中心に北信や山梨県北杜市にまでお客さんがいるトモノ。伴野さんが引き継いだ頃は3〜4名だった社員も35名ほどになりました。 3年前に入社した渡邉千佳さんは、お客さんと打ち合わせをしながら住宅の仕様や設備をコーディネートする業務を担当しています。 以前は住宅営業の仕事をしていましたが「つくる」側になりたいと学校に通い、二級建築士の資格を取得しました。 その後トモノに入社し実務経験を重ねることで、提案の引き出しが増えてきたといいます。お客さんの要望をどう叶えようかと悩むこともありますが、家が完成して喜ぶお客の姿にとてもやりがいを感じるのだそう。 「入社してみて、想像していた以上にお客さんと家の話をできるのが楽しい」と語る渡邉さん そんな渡邉さんのことを伴野さんは、「すごく一生懸命な人。一生懸命やってくれているのがお客さんにも伝わっているのがとてもいい。僕がお客さんだったとしても、渡邉さんに担当してほしい」と太鼓判を押します。 一般的には、建築会社は男性の割合が多い傾向にあります。しかしトモノでは女性が多く働いており、事務所を訪れた業者さんに驚かれることもあるそうです。 女性が多い理由のひとつは、トモノの建てる家がおしゃれで、「こんな素敵な家づくりに関われたらいいな」という人を惹きつけることにありそうです。 しかし、憧れだけでは続かないのが仕事というもの。家づくりに関わろうと思えば知識やスキルが必要だし、工事の進捗やお客さんの都合に労働時間が左右されることも多いでしょう。 その点、トモノは未経験者も積極的に採用し社員を育てていく姿勢があり、勤務体系が柔軟です。「ここで働いてみたい」という人に門戸が開かれているのです。 柔軟な働き方、教育の充実で未経験者から働き続けられる会社に 事務所ではたくさんの女性が働いている。 トモノの会社としての休業日はお盆と年末年始のみで、土日や祝日も営業しています。しかし社員の勤務体系は週休2日で、休みの曜日、そして出勤時間帯も8時半や9時など、ライフスタイルに合わせて決められるシステムです。 渡邉さんは金曜日と土曜日を休みにしています。水曜日に打ち合わせを希望するお客さんが多いこと、週末が休みの夫と1日は休みを合わせたいと考えた結果だそうです。 一度決めた週休日も絶対的なものではなく、都合により変更することも可能とのこと。もちろん有給休暇も取れるので、伴野さんは「学校の参観日や運動会の時期は誰も来なかったりします」と笑います。 社員教育については“投資”と考え、社外研修の受講や業務に関わる資格取得に必要な費用を100%支給しています。先日は社員全員で北海道の家づくりの会社を訪問。事務所や物件を見学し、学びを得てきました。 社員のニーズに合わせた勉強会や講習会をアレンジすることもあります。渡邉さんによれば、社長面談の際に「構造の勉強をしたいです」と伝えたところ、すぐに取引先の詳しい人を呼んで講習の機会をつくってもらえたそうです。 「自分が住むなら」の気持ちで楽しみ、 挑戦をいとわない家づくり 人材採用について伴野さんは、「経験よりも熱量を重視する」と語ります。 「同業者から『いい人が来ない』という話をよく聞きますが、それは最初から経験豊富で知識があり、完璧な人を探し求めているからだと思います。僕は、たとえ未経験でも、トモノの家をつくりたい、その為に一緒に頑張りたいと熱い思いをもって来てくれるような人が好きなんです。情熱がある方はちゃんとした学びの機会さえあれば、あっという間に成長できます。逆にすごく知識や経験があっても、うちに向かない人もいます」(伴野さん) どんな人が向いていますか? と聞くと、「おしゃれが好きな人」という答えが返ってきました。 「それから、やっぱり熱量がある人ですね。熱量がある人は、知識や経験のなさも克服できると感じています。というのも、僕らはすごく『挑戦する会社』なんです。これまでの常識や、他社さんが面倒に感じてやらないようなことも積極的にやります。そのためには、やっぱり熱量が必要です」(伴野さん) トモノの家はシンプルでモダンな印象ですが、それぞれが違っていて同じものがないと言われるそう。ビジネスとしては、同じようなものや簡単なものをたくさんつくった方が効率が良いけれど、そういうものづくりはしたくないのだと伴野さん。 「家づくりを始めたときから、会社を大きくしたいとか売上いくらを目指そうとか、そういう気持ちはあまりないんです。ただ、お客さんと一緒に家をつくるのがすごく楽しくて。お客さんの家なんだけど自分の家みたいな感覚なんですよね」(伴野さん) 「自分が住むんだったらこうしたいな」という気持ちで、デザインも住み心地も良い家をつくる——これを続けるうちに共感するお客さんが増え、今にいたっているのだといいます。 お客さんと打ち合わせをするミーティングルームは暖かな雰囲気。キッズスペースもあり、保育士資格を持つスタッフが託児を担当する。 手間がかかること、難しいことも スマートにこなすプロ集団でありたい 会社として今後力を入れたいことを聞くと、伴野さんは人材育成と仕事のスピード向上の2つを挙げました。 「他社が『面倒くさいな、なんでそんなことやるの』と思うようなことを、僕らはスマートに速くやるプロ集団でありたいんです。同時に、若い人や家庭のある人も働き続けられるように、早い時間に帰れて休みもちゃんと取れる環境にしていきたい。これらを実現しつつきちんと利益を上げるために、全工程のスピードをあげてスムーズに仕事が進むようにしたいですね」(伴野さん) 最近の業務改善の例としては、住宅を建てる前の敷地調査を外注にしたということがあります。地域によっても異なる法令に則り様々な調査を行う必要があるため、専門の業者に委託することで社員の負担が減り、ミスも減るという効果がありました。 こういった改善は終わりがなく、日々の仕事の中で「こうしたら良いのでは」というところを見つけてどんどんやってみるという伴野さん。渡邉さんに「社員の皆さんは変化についていくのが大変では?」と聞くと、「会社を良くしようとしてのことだと分かるので、前向きに捉えている」とのことでした。 地元である佐久穂町が大好きだという伴野さんは、「日の当たる室内で、山の景色を眺めながらお茶を飲んでいるような時間がすごく幸せ」だそう。そんな幸せを感じられる家づくりを、これからもこの地域で続けていきたいと語ってくださいました。 トモノでは今のところ人員は充足しているものの、将来への投資のためにも、良い人がいれば採用したいと考えているそうです。興味を持った方は、以下のウェブサイトなどでトモノの家づくりへの思いや、社員の皆さんの様子などをご覧になってみてはいかがでしょうか? ・トモノ建築設計事務所|トモノが大切にしていること https://tomono-inc.jp/comittment/ ・株式会社トモノ|採用サイト https://tomono-inc.jp/recruit/ 文:やつづかえり
- さくほ人座談会〈第6号〉 | koumi-sakuho
消防団員としての使命を再認識した台風19号 第6号(2019年12月発行) 巴 桂太さん 小須田達彦さん 中村健人さん 菊池真由美さん 小宮山花恵さん 台風 19号で被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。 ~わがまちを守る消防団~ 今回、さくほ通信の制作にあたり、10月 5日(土)に、佐久穂町の消防団員の方5名にインタビューを行いました。そして、その1週間後、台風19号が長野県内はじめ、全国に甚大な被害をもたらしました。今回、台風直撃前に行った消防団員インタビューと、台風19号で実際に消防団員として活動した団員の方の話を掲載します。 今回の台風災害にあたり、消防団員として、どんなことを感じましたか。 何より、自分が住んでいる場所が大きく変わってしまった。そこらじゅうで土砂崩れが起こり、その状況に茫然としてしまいました。 団員としては、雨が降っている間は、避難所へ早く避難するように声を掛けてまわりました。土のうを作ったり積んだり。台風が過ぎて一夜明けてからは、被災されたお宅の土砂のかき出し、土砂崩れがあった道が通れ るように土砂をどかしました。とにかく自分のできることをやるのに必死でした。 「自分は大丈夫だ」と思わず、避難勧告が出たらすぐに避難してください。それと普段からの備えが大事になってきます。断水、停電などが起きないとも限らないので、想定した備えは必要だと思います。 消防団員の重要性を実感したのでは 実際に災害を経験して、台風19号が来る前と後では、災害についての考え方が大きく変わりました。年間団員をやってきて、本格的な災害は初めて経験しました。実際に何ができたかは分かりません。どれだけできたのかも分かりません。でも、私たち消防団員が状況を見て、避難を呼びかけたりしないといけない。それが命を守ることにも直結します。道を通れるようにすることもそうですが、自分たちの使命を再確認しました。 被災された方の少しでも力になれるような存在でありたい。自分ができることは限られているけど、自分ができることで、消防団員として地域のために関わっていきたいです。 台風19号で甚大な被害を受けた大日向地区で活動する小須田達彦さん 防災訓練では地域防災力を高める活動を行っている。(大日向4区) 防災訓練では地域防災力を高める活動を行っている。(大日向4区) 消防団員座談会 Q:消防団に入団したきっかけ 巴桂太さん(以下巴) 住んでいる地区が二十数軒しかないので︑自然な流れですね。地元で働いていると声が掛かりますね。 小須田達彦さん(以下小須田) 就職して2年目ぐらいに、班の先輩に誘われて。私も入って当然という感じでいました。 中村健人さん(以下中村) 団長と同じ職場なので、入社してすぐに声が掛かりました。 菊池真由美さん(以下菊池) 女性班ができたのは昨年ですが、その前から入団しています。役場の保育士として採用された時に誘われ、同期3人で誘い合って入りました。3人一緒ならできるかなと。 小宮山花恵さん(以下小宮山 ) 父が消防団に入っていましたが、女性班ができたということで、勧められました。 Q:消防団のいいところ、やりがいは 巴 いろんな職業の方がいて、それぞれ動ける時間も違ったりしますが、それぞれができる範囲での活動で、なおかつみんなでフォローし合って、成り立っているのが消防団だと思います。それぞれがつながりを持ちながら、地域のためになっているのかな。しっかり見てくれている人がいて、「ご苦労さま」と声を掛けてもらえるのも嬉しいですね。 中村 火事の残火処理の時に、近所の人に「ありがとう」と声を掛けてもらい、地域の役に立てていることを実感します。 菊池 ラッパ班に所属していましたが、小中高と吹奏楽部だったので、楽譜が読めない人に教えてあげたり、昔の経験を生かせるのがいいですね。他に女性として何ができるかというと、火災などに遭われたお宅のお子さんなどがいたら、安心できるよう、気が休まるように接してあげるなど、女性ならではの貢献ができればと思っています。 小宮山 入団1年目なので具体的にはまだこれからです。介護の仕事をしているので、介護が必要な方がいれば自分の強みを生かせれば。小さな子どもが好きなので、話し相手になってあげたりもしたいですね。 Q:消防団でできたつながりは 巴 入団した時に年が近い先輩でも7〜8歳以上離れた知らない人ばかりでしたが、皆さん気さくに声をかけてくれて、飲みにも連れて行ってもらったり、お世話になりました。入らなければ分からなかった人も多かったのですが、消防団に入ったことでいろんなコミュニティができました。 小須田 近所の30~40代の知り合いができました。(ポンプ操法の)選手をやってからはいろいろ教えていただいたり、分団内の他の班の人とも知り合いになりました。 中村 広い年齢層の方とのつながりができました。幅広い職種、年齢の人と話ができるのは、消防団に入っているからこそ。ポンプ操法で選手をやると、いろんな人から声を掛けてもらうようになりました。自分の人生相談や、アドバイスをしてもらったり・・・消防団に入ったからこそできたつながりです。 菊池 ラッパ班は特定の地域ではなく町内全域なので、広い地域の人と知り合うことができます。保育士は外部と関わることがあまりないので、いろんな方と接するということは、視野も広がりますし、自分のためにもなります。 Q:消防団に入る前のイメージと、実際やってみて感じることは 巴 入団する前は消防団のイメージはほとんどありませんでした。厳しいこともありますが、終わってからの懇親会など皆さんといろんな話ができるのは楽しい。その一方で、ちゃんとやるべきときはちゃんとやる、メリハリがついているのが消防団です。 中村 私のところは上下関係も特に厳しくないですし、〝お酒を飲むイメージ〞がありましたが、そんなこともなく、入団前に持っていたイメージよりもやりやすいですね。 菊池 諏訪市に住んでいた時、豪雨があり、消防団の方が訪ねてきて避難を促されました。膝丈まで水が来たのですが、助けていただいたことがありましたし、ラッパ隊の方が毎晩練習する姿を見て格好いいと思っていたので、もともといいイメージを持っていました。 Q:防災について地域の人に伝えたいことは 巴 防災は子どもの頃からの教えが大事です。コンセントなどがそうですが、火遊びで簡単に火災が起こってしまうことを知ってほしいです。保育士さんなどにはぜひ消防団に入ってもらって、自ら知識を身に付けて、子どもたちに教えてほしいですね。 みなさん自分は大丈夫だろうと思っている方が多いようですが、そう思わず、誰にでも起きうると思って、日ごろから意識していただければ。 昨今は地域防災力を高める必要性が増しています。行政だけでは限界があります。地域に住んでいる人にも、一緒になって取り組んでもらいたいです。 新入団員募集中です。自分たちの住んでいるまちを守るために一緒にやりましょう。 取材後記 今回の台風19号で私たちのために尽力してくれた消防団員のみなさん。消防団の役割や、重要性を感じられた方も多いことと思います。消防団活動へのご理解や、ご協力をお願いします。 団員の方の言葉にもありましたが、消防団員を募集しています。興味のある方、地域への貢献を考えている方は、ぜひ、力を貸してください。 ■参加者プロフィール 巴 桂太さん (34歳)八千穂小・八千穂中卒 第4分団 小須田 達彦さん (31歳)佐久東小・佐久中卒 第3分団 中村 健人さん (25歳)佐久西小・佐久中卒 第2分団 菊池 真由美さん (34歳)佐久中央小・佐久中卒 女性班 小宮山 花恵さん (20歳)八千穂小・八千穂中卒 女性班 ※年齢、肩書等は発行時のものです。
- さくほ人座談会〈第7号〉 | koumi-sakuho
祝成人 佐久穂中学校第1回卒業生 20歳(ハタチ)になる同郷の友へ、エールを 第7号(2020年8月発行) ※年齢、肩書、在校等は発行時のものです。 平成27(2015)年4月、佐久穂小・中学校が開校。翌年3月に佐久穂中学校を最初に卒業した皆さんが、今年、成人を迎えます。 6月某日、当時の生徒会役員のうち、5名の皆さんにオンライン対談に参加していただきました。成長した自分を見てもらい、同詩に仲間の顔を見ながら、懐かしい当時を振り返りました。 今回オンライン対談に参加していただいた皆さんの卒業当時の写真です。 小林 大恭さん 八千穂小学校 佐久穂中学校卒9年3組 内藤 翔さん 八千穂小学校 佐久穂中学校卒9年1組 篠原 莉里さん 佐久中央小学校 佐久穂中学校卒9年3組 岡部 紗良さん 佐久西小学校 佐久穂中学校卒9年2組 松澤 杏実さん 佐久中央小学校 佐久穂中学校卒9年4組 Q:記念すべき第_回の卒業生ですが、新しい学校へ移った時の感想は? それまで知らなかった人たちと_緒に過ごすことになってどう感じましたか? 小林 一番最初ということで、生徒会で元をつくったリ、決めることが多くて大変でした。統合して数力月ですぐ打ち解けて仲良くなれました。 内藤 とにかく校舎がきれいなことが印象深かったです。今までにこんなにきれいな建物を見たことがないくらいきれいでした。暖房設備が充実していて快適でした。体育館もきれいで、僕はバスケ部だったんですけど、とても使いやすかったのを覚えています。八千穂中でずっと仲間が変わることなく過ごしてきたので、最初は不安もありましたが、統合してからはすぐに打ち解けて仲艮くなりました。 篠原 佐久中は古い校舎だったので、それに比ペてちゃんとした設備のあるところで学べるのは、有り難かったです。それは地域の方々のおかげと思っているので、そういうところにありがたみを感じたし、学校生活をよくしたいと思いました。それまで知らない人たちと過ごすことは、特に不安もなく、すぐに打ち解けられると 思いました。 岡部 もともと佐久中だった人は、中学一年の後半から新しい校舎にいたので新校舎での思い出がほとんどですが、最初移った時は、きれいで明るいなと感じました。ものすごく広くて、迷子になりそうだな、という感想を持ちました。前の校舎から移って寂しいというよりは、きれいな校舎で学べることでワクワクする気持ちの方が大きかったですね。それまで知らなかった人たちと過ごすことは、前の先生やクラスメートとばらばらになる のは寂しかったですが、最後の一年は新しい顔ぷれでそれはそれで楽しい一年になりました。 松澤 校舎がきれいで、私たち佐久中の生徒は、先に校舎に入っていたので、きれいな状態を保たないといけないなと思いました。もともと佐久中は2クラスだったので、4クラスになると聞いて、驚いて、また不安もありましたが、すぐに仲良くなれました。今日、久しぶりに学校に来ましたが、すごく懐かしいです。全然変わっていないなって。今、交流ホールにいるんですけど、文化祭の前に合唱練習したのを思い出します。 Q:統合して良かったと思うことは?逆に苦労したことは? 小林 友だちが増えたことが良かったです。八千穂だと50人ぐらいでした。倍以上に増え、交流が広がりました。 内藤 自分も人脈が広がったことです。八千穂から来ると新鮮な体験があって充実してました。すべてが初めてということで、苦労した点でもありました。 篠原 私も友だちがたくさん堵えたことです。友だちとの関係はずっと続いていくものなので、中学の時期にたくさん出会えたことはよかったです。普通は3年間同じ仲間ですが、統合があったことで、沢山の友だちと関わることができました。苦労したことは覚えていないくらいないです。 岡部 私も最後の一年間で新しい出会いがあり友達が増えました。苦労したことは、それぞれの学校で委員長がいたので、たくさん話し合いをしました。いろんな意見があってまとめるのに苦労しました。 松澤 いろんな人と出会えて仲良くなれたことです。また行事が大規模でできるようになって、その分盛り上がりも大きくなりました。私は図書委員長をしていたのですが、図書館が小中共同なので、生徒会で小学生とも交流できるものを企画して、と頼まれた時は大変でした。 Q:ふるさと佐久穏町を離れて感じること、外から見た佐久穂町をどう感じる?また、離れて改めて感じる佐久穂町の魅力は? 小林 関東はとても暑さがこたえますが、佐久穂町は涼しいですね。 内藤 東京はあらゆるものが揃い便利な街ですが、危険も多いです。佐久穂町は安全ですね。通学時の満員電車などストレスも多いです。変わっている人も多いというか、コロナもそうですが、自分の身を守る危機管理が大事な街です。佐久穂町に帰ると、水のおいしさ、空気のおいしさを実感します。 篠原 人の温かさですね。帰省して歩いていると、近所の人が声を掛けてくださったり、東京ではありえない、地域の人との関係は、佐久穂町でしか感じられないことです。 松澤 私は松本市に住んでいますが、「佐久穂町出身」というと、「そこ、どこ?」つて言われます(笑)。名前が知れ渡っていないな、と思いました。松本は雨が多くて湿気っぽい。佐久穂町はカラッとしていて、洗潅物がよく乾きますね。 岡部 私は地元を出ていないので外と比較できませんが、地元の人と接する仕事をしていると、優しい人が多いと感じます。 Q :外に出て、佐久穂人としてのアイデンティティーを意識する? 小林 (佐久穂町はどこかという話になると)軽井沢の近くつて言ってしまいます。その方が伝わりやすくて。 篠原 両親が送ってくれた味噌や醤油の味に、佐久穂人だなあと感じています。 松澤 佐久穂町ってどこ?って言われると悔しいです。佐久市は通じるのに、佐久穂町っていうと通じなくなるんです。何が有名なの?って聞かれて、プルーンとかカーネーションって言うと、へえ、みたいな(微妙な反応)・・・。 Q 10年後、あるいは20年後、ふるさと佐久穂町とどう関わっていると思う?(あくまで想像の域で、暮らしている?働いている?) 小林 薬剤師を目指しているので、将来的には地元に戻って、病院、薬局どちらか決めていませんが、地元で地域医療の中で関わっていければと思っています。 内藤 まだ具体的ではありませんが、将来なりたい職業の―つに教師があって、もし教師になるなら、ぜひ、地元長野県に帰ってやりたいと思っています。 篠原 大学を卒業したらすぐに地元に滞りたいと思っています。放射線技師を目指しているので、地元に戻って、佐久地域の医療に貢献できたら。就職して地元に恩返しがしたいです。 岡部 10年、20年後は想像できないことも多いのですが、地元がすごく好きなので、何かしら関わっていると思います。 松澤 管理栄養士を目指しているので、資格をとれば医療関係の仕事に就けます。まだ、具体的にどこに就職とかは考えていないんですけど、佐久地域の医療に携わることができたら、と思っています。 Q :佐久穂町がもっと「こうなればいい」という希望がある? 小林 八千穂IC近くに道の駅ができると思いますが、人が集まる場所になってくれたら。夏になったら友だちを連れてキャンプに行く計画をしていたので、若い人が集まる夏のレジャー施設が充実したらいいなと思います。 内藤 自然環境がよくて十分魅力的です。個人的にはこれ以上望むものはなくて、今のままでいいですね。 篠原 佐久穂町の友だちで関東に行っている人の中にも、「佐久穂町に帰りたい」っていう人もいます、佐久穂町は今でも十分すばらしいです。これからの時代、高齢者が増えるので、高齢者により優しい町になってくれたら。 岡部 住んでいて、いいところだと日々感じています。地域の人が交流を深められたり、参加できるイベントが増えていくといいなと思います。 松澤 自然豊かでいいし、特にこうなってほしいというのはありませんが、魅力のある町なので、もっと外にアピールしていったほうがいいと思います。 Q :帰ってきたい人が多いですが、地元に帰りたい、そう思わせるのはなぜ? 小林 知り合いがいることで安心感につながって、仕事がしやすくなるのではないかと思うし、地元への感謝の気持ちもあります。生まれ育った土地なので、今まで支えてきてくださった方々に、医療の面から恩返しをしたいと思っているからです。 内藤 東京は人が多すぎで、そういった面では大変で苦労しそう。自分も佐久穂町で育ってのびのび生活できたので、働く側としてもやりやすいと思うからです。 篠原 東京では孤独を感じるので。佐久穂町には近くに友だちもいるし、人の温かみが感じられるのが大きいです。 Q :県外の大学へ行きたいとは思わなかった? 松澤 都会の雰囲気、空気が苦手なので。管理栄養士になって、長野県の食に関する健康問題を、どうしたら解決できるかを個人的に学びたいと思ったので。就職してからもやっていけたらと考えています。 Q :成人式で、旧友との再会に期待することは。最後に、旧友へのエールを 小林 みんながどうなっているか、SNS上でしか知らなかったり、近況が分からない人もいるので楽しみにしています。お世話になった先生に会えるのも楽しみです。コロナで大変な時期ですが、力を合わせて、成人式を成功させましょう。 内藤 しばらく会っていない人と、会って話したいです。地元を離れているので、佐久穂がどう変わったよ、とか話すのも楽しみです。コロナもありますが、これから時代がどう変わっていくのか分かりませんが、せっかく、同じ学校でたくさん仲間ができたので、協力していきましょう。 篠原 ほとんどの人がバラバラになってしまっているので、みんなが進路をどう考えているか、その近況を知ることができたら、励みにもなったり楽しいと思います。自分が進むと決めた道に進んで、それがたとえ地元を離れた場所であっても、間接的にでも佐久穂町に還元できたらと思うので、頑張りましょう。 松澤 近況を知らない人も多いので、みんなで集まって話をして。同じ職業を目指している人と、話が盛り上がれば。何だかんだ言っても、地元の友だちが何でも話しやすいと思うので、何か困ったら相談したらいいと思う。 岡部 高校からバラバラになってしまった人が多いので、元気で会えることが一番。みんながいろいろな夢を持っていると思います。今年20歳という歳を迎えるので、お互い夢や目標に向かって成長していければいいな、と思います。頑張りましょう。 Q: みなさんの近況を教えてください 小林大恭さん(以下小林) 群馬県高崎市の高崎健康福祉大学の薬学部に在籍して、薬剤師を目指しています。 内藤 翔さん(以下内 藤) 東京都立大学のシステムデザイン学部に通っています。一般的にはあまり聞きなれない学部ですが、プログラミングを専門的にやる学部です。これからの時代、プログラミングとかIT関係が重要と考え、取り組んでいます。 篠原莉里さん(以下篠原) 杏林大学に通っていて、保健学部の診療放射線技術学科に在籍しています。勉強頑張ってます。 岡部紗良さん(以下岡部) 私は佐久穂町の郵便局で働いています。窓口で手続きやハガキ、切手販売などの業務をしています。 松澤杏実さん(以下松澤) 松本市の松本大学健康栄養学科で、管理栄養士を目指して学んでいます。 私たちも夢に向かってがんばっています! 今回オンライン対談には参加できませんでしたが、オンライン対談を開催するにあたりサポートしてくれた2人からエールをいただきました。 髙柳 夏生さん 上田女史短期大学在籍 佐久西小学校 佐久穂中学校9年1組 ①自身の近況と目指している夢 卒業に向けて卒論や就活など色々なことを進めているところです。目指している夢は特には決まってないですが、 何か人のためになるような事をしたいと考えています。 ②同級生へエールを コロナウイルスの影響で色々と不便な事があるかと思いますが何とか乗り越えて頑張っていきましょう。 友野 萌さん 上田女史短期大学在籍 佐久中央小学校 佐久穂中学校9年1組 ①自身の近況と目指している夢 今は短大に通い自分が取りたい資格や免許を取得するために日々勉強しています。今年は2年生になり、やる事も増えて大変ですが 同じ短大の仲間と一緒に励まし合いながら頑張っています。目指している夢は、まだはっきりとしていなく、ぼんやりと思っている程度なのですが、小さい頃から過ごしており、1番思い入れがある地元に近い場で就職したいと考えています。 ②同級生へのエールを いよいよ大人の仲間入りというこの年に、不安になるような事が起こり大変だとは思いますが、このような事に負けず無事に乗り越え、一人ひとりが立派に成長できたら良いなと思っています。 お互いに頑張りましょう! 恩師からのエール 覚えていますか。私たちからも、エールを送ります! 大西 由美先生 佐久穂中学校 学年主任(当時) ①近況 佐久穂中学校で勤務しています。 皆さんと同じ青ジャージの現在8年3組の担任で日々頑張っます。 ②子どもたちへのメッセージ 早いもので皆さんも20歳になるんですね。 統合した年の卒業生、立派な大人になったことでしょう。明るく楽しく元気よく生活していた皆さんのことは絶対に忘れないと思います。一度きりの人生、思い切り楽しんで下さいね。 山岸 真路先生 佐久穂中学校 9年1組担任(当時) ①近況 佐久穂中学校で8年1組の担任をしています (3回目の青ジャージ担任です)。 男子12名+女子16名、計28名の、笑顔の絶えないにぎやかな子どもたちに囲まれて楽しく生活しています。皆さんに可愛がってもらった息子の宏太朗は、中込中の2年生になりました。男子バレーボール部に入部して頑張っています。身長も180cmになり、見上げて怒っています(笑) 。 今57歳・・・体はそこら中が痛みますが、何とか頑張っています。 ②子どもたちへのメッセージ 「2621」 の皆さん、 「2791」 の皆さん、成人おめでとうございます。旧校舎から新校舎へ引っ越しから統合という難局を、共に乗り越えてきた皆さんは、私にとって教え子でありながら「戦友」 でもあり「同志」でもありました。すでに働いている人もいれば、学業に勤しんでいる人もいると思います。とにかく元気でいてください。自分のまわりの人の中に「キラリ」を沢山みつけられる人でいてください。そしてふるさと佐久穂の動物を、植物を、自然を愛し、誇りを持っていてほしいです。君たちの「これから」に幸あれと祈っています。 清水 恒作先生 佐久穂中学校 9年2組担任(当時) ①近況 現在、松本市立明善中学校に勤務しています。佐久穂中学校の時と同じく、社会科を教え、バスケットボール部の顧問をしています。変わったことと言えば、髪が短くなったことと、転んだ時に前歯が折れたので、前歯がプラスチックになったことくらいかと思います。 ②子どもたちへのメッセージ コロナウイルスの影響で、 色々なことができなくなり、広い社会に出ようとする皆さんにとっては、とても厳しい時代を迎えています。しかし、私の10倍以上は元気な皆さんであれば、そんな苦労も乗り越えられるのではないかと思います。次に会う機会があれば、 少なくとも私よりはエネルギーあふれる姿であることを願ってます。 下條 将先生 佐久穂中学校 9年3組担任(当時) ①近況 伊那東部中学校5年目で、 現在2年生の担任をしています。女子バスケットボール部の顧問をしていて、県の選抜活動にも携わっています。30歳になり、昨年4月には長男が生まれ、3人家族になりました。 ②子どもたちへのメッセージ 世の中の仕組みや、社会情勢が目まぐるしい速度で変わっていく時代です。すでに社会に出ている人も、これから社会に出ていく人も、学びを止めることなく、成長していってください。素敵な大人になったみなさんに、いつかまたどこかでお会いできる時を楽しみにしています。 宮田 亨先生 佐久穂中学校 9年4組担任(当時) ①近況 佐久穂中学校で6年目を迎えています。 年齢はみなさんと出会った頃は30代でしたが、43歳になってしまいました。みんなが立ち上げた佐久穂中の伝統を後輩たちが立派に引き継いでいけるように日々頑張っています。 佐久穂中がどんな学校になっているか皆さんの目で確かめてください。 ②子どもたちへのメッセージ それぞれ場所は違うかもしれませんが、 同じように頑張っている仲間が たくさんいます。自分自身の目標に向かって歩みを進めてください。故郷の佐久穂町はいつもみなさんの背中を押してくれています。いつでもお待ちしています (私はずっといるわけではありませんが・・・笑)
